新エロイーズ2 [哲学 ルソー]
『新エロイーズ』の2巻を読み終わった。
ジュリとサン=プルーの身分違いの恋がジュリの父親に露見してしまい、二人は引き裂かれる。
露見してしまう原因を作ったエドワード卿から、駆け落ちの誘いを受けるが、ジュリは断る。
そしてジュリは最終的に他の男性と結婚してしまう。
普通の恋愛小説であれば、おそらく二人で駆け落ちするのであろうが、ジュリは恋人ではなく、結局家族を取る。駆け落ちすれば、家族の名誉が失われてしまうというのが理由であり、それを恋人のサン=プルーに滔々と説くのであるが、正直、やっていることの根底にあるものは父親と変わらないのではないだろうか。
父親は貴族ではない男と娘を結婚させるわけにはいかないと主張する。娘は身分違いということにこだわらずに恋愛をするのであるが、最終的には家族の名誉(つまり貴族という階級意識)を捨てることができない。非常に徳が高い女性と描かれているのだが、結局は、旧体制の中で生きている人間なのだな、と感じた。結婚後にサン=プルーに送った手紙も、神の意思などを強調し、結婚の神聖さを説き、自分のことは諦めるようにいうのだが、そもそも別の人と結婚した時点で、どうなのかと思ってしまう。
サン=プルーの感情的だが非常に抑制された心の模様が手紙のあちこちから感じられ、読んでいて胸が苦しくなってしまった。
以下ルソーの思想が見える箇所をいくつか紹介したい。
p.149
「人は自分の言う事柄にふさわしい態度を我知らず取るものであり、思慮分別のある話には媚態の気取りを加えるすべがないからです。わたしは彼女達がもはやあれほど美しくあろうと努めなくなってから今までよりもいっそう美しくなったと思いまして、彼女達が人の気に入ろうと思えば粉飾しなければそれでよいのだと感じたのです。」
これはパリの上流階級の人々と交わる仲で、サン=プルーがそこにいる女性達に関して述べた部分である。スポーツ選手や、何かに一生懸命に取り組んでいる女性は非常に美しい。それに対して、ただ美しくみせるために、行動している人は、外面は美しく見えるかもしれないが、真の美しさを感じない。この本のテーマであろう、「内面の美しさ」の重要さが述べられている非常に美しい文章である。
次に社会問題に関して。
p.194
「百万長者のいないわが国には極端な貧者がこれほど少ないのに、あれほど豊な都市ではどうして下層民がそんなに窮しているのでしょう。」
これは現在の資本主義社会にそのまま当てはまる問題である。どのような社会を我々はこれから構築していくべきなのか。200年以上前から分かりきっている状況を何故人間は変えられないのか。疑問である。
p.222
「人間を造るものが理性であれば、人間を導くものは感情なのです。」
これもとても素晴らしい。人間らしさとは理性的であることだとは思うのだが、それだけではやはりいざという時に行動できない。人間を行動させるのは感情なのだ。誰もが書けそうで書けない一文である。
これからまだまだ話は展開していくようである。
楽しみだ。
2018-04-28 07:22
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