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裏庭 [文学 日本 梨木香歩]


裏庭 (新潮文庫)

裏庭 (新潮文庫)

  • 作者: 香歩, 梨木
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/12/26
  • メディア: 文庫



梨木香歩の傑作ファンタジーと呼ばれている『裏庭』を読み終わった。

正直、ダメだった・・・。
私はファンタジーと呼ばれる文学作品があまり得意ではないのかもしれない。私の同僚というか先輩でとても尊敬している人がいるのだが、その人はエンデの『はてしない物語』、ル・グィンの『ゲド戦記 』、佐藤さとる『コロボックル物語』が好きということで、どれも一応読んでみたのだが、どれも最後まで読みきれなかった。ゲド戦記だけは何とか三巻までは読んだが・・・。

この『裏庭』は現実世界と、裏庭の向こう側にあるファンタジーワールドを行ったり来たりする話で、現実世界で傷ついた心を、裏庭にあるファンタジーワールとでの冒険を通して癒して帰ってくる的なストーリー(なのだと思う・・・)。

現実世界で行われていることを読んでいるときはとても楽しく読めているのだが、ファンタジー世界に入ると全く楽しめなくなる。自分の想像力が足りず世界をイメージできないせいなのかもしれない。

何にしろ面白さが自分のものにできずかなり残念な作品だった。

とはいえ、少し心に残ったフレーズが何個かあるので紹介したい。

p.13
「レイチェルは、棒を置いて、辺りを見回すと、ひそひそ声で言った。レイチェルは、普段はあまりそういうひそひそ話をするような女の子ではない。でも、その日はしとしとと、音もなく小雨の降る日で、ほら、そんな日は人と人との距離がとても短くなるものだ。気をつけなければならない。」

人の距離感というのは人によって違う。距離感が近い人は、距離感が遠い人の気持ちがあまりわからない。結構土足でパーソナル・スペースに入り込んでくる。この辺を文字化して読者に示すあたり、かなり梨木香歩さんは繊細な人なのだと思うのだ。

p.32
「照美が綾子のおじいちゃんをすきなのは、おじいちゃんがいつもしっかり照美の全体を見てくれるから、ということもあった。(全体をみてくれるっていうのは、別に全身隈なくよく見るってことではなくて、部分にこだわらずに、なんとなく、「照ちゃん」と扱ってくれるっていうことだ。まっすぐ自分に向かって呼びかけてくれている感じがするのだ)」

この辺の感覚もおそらく鈍い人にはわからない。そして鈍い大多数の人々は人を部分にこだわってして見ておらずさらにそういう見方をしているということにすら気がついていない。この辺の感覚もとても温かいなあと感じる。

p.60
「さっちゃんは、こういう、当たり障りのない常套句をいっぱい知っている。お客相手をしているうちに蓄えたものもあるし、大人へ成長する過程で、人とたくさん交わるうちに身につけたものもある。そういうものをきっと、『常識』と呼ぶのだろう。そういう意味ではさっちゃんは『常識のある大人』なのだ。けれど、そういう『常識的』な言葉を使うとき、さっちゃんは、何か虚しい気がすることもある。言葉が上滑りしていく感じだ。でも、場合によっては、何か守られている感じがすることもある。」

これも日頃から私が感じているコトバだ。たとえば「ありがとう」に対する「どういたしまして」。人が亡くなった時の「ご愁傷様です」。こうした言葉って、自分の中にまったく肉体化されていず、そういう場面に立たされたとき言葉にしようとしてもどうしても音として出てこないのだ。つまり虚しいのだ。実感を伴わない言葉。そんなことすら意識せず、『常識』的な言葉を使い人間関係を作れる人を私は羨ましいと思う。そしてそういう人の使う無神経な言葉や行動が非常に腹立たしく思う時がある。

p. 180
「自分の傷と真正面から、向き合うよりは、似たような他人の傷を品評する方が遥かに楽だもんな」

本当にその通りだと思う。ネット上に広がる他人を中傷する言葉や、巷であふれるきつい言葉。結局自分と向き合えない人間が、攻撃性を激しく表に出して人に刃を向けるのであろう。

p.253
「傷を、大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ。」

自分と向き合わないから自分というものが生まれず、ひたすらスマホに目を向け続けるのであろう。

本当に素晴らしい感性にあふれた作品だけに、ストーリーが全く体に入ってこなかったのが残念でならない。

梨木香歩作品はしばらくいいかな、と思った。
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家守奇譚 [文学 日本 梨木香歩]


家守綺譚 (新潮文庫)

家守綺譚 (新潮文庫)

  • 作者: 香歩, 梨木
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/09/28
  • メディア: 文庫



梨木香歩の『西の魔女が死んだ』『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』と読み、どんどん引きこまれてページをめくり手がとまらないとまではいかないけれど、じわっと来る面白さや優しさがあり、もう少し彼女の作品を読んでみたくなり、評判の良いこの作品を読んでみた。

結果・・・。

読みながら現実世界と幻想世界が入り乱れる、文章が格調高いあたりが、夏目漱石の『夢十夜』を彷彿とさせた。『夢十夜』も名作と言われており結構多くの人が薦めるのだが、さっぱり私には理解できない。時期を変え3度ほど読んだ、というより挑戦したことがあるのだが、まともに全文読めたことがない。この『家守奇譚』も同じだった。初めはそれなりになんとか話についていこうと一生懸命読むのだが、やはり最後の方はかなりの飛ばし読みになった。

『夢十夜』やこの作品のどういった部分が面白いのか、どういった人がどういったポイントに惹かれるのか、是非聞いてみたいし、もしそのポイントが分かればぜひ自分もその角度から読んで、この名作と呼ばれる作品達を楽しみたいのだが・・・。

ちなみに、もう一つ似たような系統の作品で名作と呼ばれている、アンデルセンの『絵のない絵本』も何度か読んだかやはりわからない。おそらくこの3つに通底する世界観で、多くの人が楽しめる要素があるのであろう。

かなり期待が高かっただけに残念な作品だった。
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ヤービの深い秋 [文学 日本 梨木香歩]


ヤービの深い秋 (福音館創作童話シリーズ)

ヤービの深い秋 (福音館創作童話シリーズ)

  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 2019/08/28
  • メディア: 単行本



梨木香歩著、ヤービ・シリーズの第二作『ヤービの深い秋』を読み終わった。
1年以上空けての第二巻だったので、登場人物たちの細かいエピソードを忘れてしまっていたので、一巻でのエピソードを踏まえての話だと少しわからない部分があったりした。

第一巻がかなり面白かった思い出がありもっとスラスラ読めると思っていたのだが、何となくまったりした感じで進みがゆったりで、結構読み進めるのに時間がかかったが最後の方は息に読めた。

前巻は、自然破壊と人間の身勝手さがテーマだったように覚えているが、今回はもう少し内面的なことがテーマになっている気がする。

自然に目と耳と心を向けることの大切さを伝えているのはもちろんのこと、言葉を使うことの大切さ、真摯な言葉を発することが生活する力につながり、地力が養われることにもつながるということも伝えている。そしてなにより過去と向き合うことで今の生きる力につながることを、ファンタジーを織り交ぜながら伝えているのがとてもよかった。

断片的にみえた様々なエピソードが最後はつながっていき大団円を迎える。何とも言えない暖かい気持ちに最後は包まれて終わる。

圧倒的なおもしろさではないが、じわじわっと来る面白さがある。とっつきやすいスタイルの作品ではないが最後は、色々と考えさせられどこか暖かい気分にさせてくれる作家だと思う。

良作だと思う。忘れないうちに続巻が出て欲しい。
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西の魔女が死んだ [文学 日本 梨木香歩]


西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

  • 作者: 香歩, 梨木
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/08/01
  • メディア: 文庫



『岸辺のヤービ』を読んで以来、興味を持ち始めた梨木香歩。彼女の代表作的な作品『西の魔女が死んだ』は、『岸辺のヤービ』を読む前からよく目にしていたのだが、正直あまり興味がなく今まで読んでこなかった。この夏日本文学を集中的に読んでいるので、遂に読んでみた。

非常に繊細でそこかしこに、美しい感性が入り込んだ素晴らしい作品だった。言葉に対する意識の高さがわかる箇所を紹介したい。

p.11
「昨日、テレビが梅雨入り宣言をしていた。いや、テレビではなく、気象庁が。」

このわざわざ言い直すあたりが、主人公まいの言葉や周りの事象に対する意識の高さをうまく描写していると思うのだ。

p.16
「「認めざるをえない」 まいは小さく呻るように呟いた。この言葉は初めて使う言葉だ。まいはちょっと大人になった気がした。
 「それは認めざるをえないわ」 まいはもう一度呟いた。これですっかりこの言葉を自分のものにできた気がした。」

はやりの言葉をちょっと耳にするとすぐに使ってしまう人がいる。しかし何となく感覚としてストン自分の体に落ないと使う気がしない。自分のものにできた気がしないと使う気がしない。例えば「エモい」ということば未だによく分からず使えない。そんな敏感な言葉に対する誠実さもこの表現から垣間見える。

おばあちゃんが飼っていた鶏が、何かの動物に食い殺されたあとの場面。

p.109
「ーああ、厭わしい、厭わしい。
 ー肉を持つ身は厭わしい。」

これも、普通は出てこない感覚だ。この本はひとつのテーマとして「死」というものをどう捉えるか、ということがあると思う。西洋的な「精神と肉体」という考え方の元「死」というものを肯定的に捉えて終わるのだが、ここまで「肉体」を嫌悪する表現を、中学生の女の子に語らせるあたりが、梨木香歩という人の感覚の鋭さ、美しさを示していると思うのだ。

p.133
「喪に服す、というのはまいには初めての言葉だったが、何となく意味はわかった。そして、まいの気持ちをあらわすのにぴったりの言葉だと思った。」

ことばを獲得することで、自分の感情が整理されることをうまく示した例であろう。このあたりの描写もとても素晴らしい。


「死」について主人公まいが、お父さんに聞いて、納得できない答えを聞いた時の、まいとおばあちゃんの会話。

p.156~p157

「あんまり無責任じゃない? ひどいよね。父親の自覚のない人なんだ」
「まいのパパはいつだってそのときの自分に正直なんですよ。~中略~」
~中略~
「まあ、悪い人じゃないよね。ただ、ちょっと想像力がなかったんだな。~中略~」
「そうですね。でもその手の想像力の欠如している人って世の中には多いですよ。」

ここにまいが世間とうまく折り合えない根本的な理由があるのだ。他人に対して、世間に対して想像力がありすぎる人間。敏感すぎる人間。そうした人々を想像力がない人間、鈍感な人間は気がつかないのだ。

敏感な人の心に素晴らしく寄り添う本。

後日談のような、本編の次に付された作品短編「渡りの一日」も良かった。
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岸辺のヤービ [文学 日本 梨木香歩]


岸辺のヤービ (福音館創作童話シリーズ)

岸辺のヤービ (福音館創作童話シリーズ)

  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 2015/09/10
  • メディア: ハードカバー



『岸辺のヤービ』を読み終わった。
一年くらい前、妻が購入したが、全然読まないので、もったいないので自分が読んだ。
舞台は恐らくイギリスをイメージしているのだろう。イギリスの大自然の中にある寄宿学校の先生と、その近くの湖沼に住むネズミのような、妖精のような小さい生物の話。

主人公(と言えるのかわからないが)、このストーリーの語り手の寄宿学校の先生が、夏休みボートに乗って本を静かに読んでいるところから、もう既に私好みの雰囲気。小さい生物たちがクラス模様を映描いている点で、ムーミンの世界観にも似ているが、ムーミンには人間たちは登場しないが、このヤービのお話には、「大きい人」という呼ばれ方で人間たちが登場する。彼らの世界に人間たちを登場させることで、人間が地球・自然に対しどれだけ自分勝手なことをしてしまっているのか、ということを際立たせている。その点、ムーミンは非常に抽象的な、言葉を通して、暗に人間を風刺しているので、わかりづらい。どちらかといえばわかりやすい物語が好きな私はこの『ヤービ』はとても良かった。

幸せに、色々なバランスの中で生活している、動物や妖精たちが、人間たちの生活のために、自分たちの住んでいる場所をだんだんと奪われ、生きるすべを奪われていく。生き物が生き物を食べることの罪深さのようなものもテーマとして描かれており、非常に考えさせられる作品となっている。

人間たちのために、自分たちの住む場所を変えざるを得ないような状況に追い込まれたヤービ族がどうすべきか、話している最後の場面が非常に印象的だった。

p.215
「わたしたちは、マッドガイド・ウォーター・ヤービです。ここをかんたんに見すてることはできない。できるところまで、やりくりして、なんとかやっていくしかない」
p.219
「でもぼくはやっぱり、マッドガイド・ウォーターを出たくないんです。だって、生まれてからずっと、ここにいたんだもの」

何か大変な事態が起こったとき、それをただ単に回避するのではなく、現状を改善した上で、善後策を講じることが重要なのではないだろうか。

人間の自分勝手さ、そして現状を変えようとする不断の意志、など色々なことが心に響く作品だった。

続巻もあるので、楽しみだ。
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