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西の魔女が死んだ [文学 日本 梨木香歩]


西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

  • 作者: 香歩, 梨木
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/08/01
  • メディア: 文庫



『岸辺のヤービ』を読んで以来、興味を持ち始めた梨木香歩。彼女の代表作的な作品『西の魔女が死んだ』は、『岸辺のヤービ』を読む前からよく目にしていたのだが、正直あまり興味がなく今まで読んでこなかった。この夏日本文学を集中的に読んでいるので、遂に読んでみた。

非常に繊細でそこかしこに、美しい感性が入り込んだ素晴らしい作品だった。言葉に対する意識の高さがわかる箇所を紹介したい。

p.11
「昨日、テレビが梅雨入り宣言をしていた。いや、テレビではなく、気象庁が。」

このわざわざ言い直すあたりが、主人公まいの言葉や周りの事象に対する意識の高さをうまく描写していると思うのだ。

p.16
「「認めざるをえない」 まいは小さく呻るように呟いた。この言葉は初めて使う言葉だ。まいはちょっと大人になった気がした。
 「それは認めざるをえないわ」 まいはもう一度呟いた。これですっかりこの言葉を自分のものにできた気がした。」

はやりの言葉をちょっと耳にするとすぐに使ってしまう人がいる。しかし何となく感覚としてストン自分の体に落ないと使う気がしない。自分のものにできた気がしないと使う気がしない。例えば「エモい」ということば未だによく分からず使えない。そんな敏感な言葉に対する誠実さもこの表現から垣間見える。

おばあちゃんが飼っていた鶏が、何かの動物に食い殺されたあとの場面。

p.109
「ーああ、厭わしい、厭わしい。
 ー肉を持つ身は厭わしい。」

これも、普通は出てこない感覚だ。この本はひとつのテーマとして「死」というものをどう捉えるか、ということがあると思う。西洋的な「精神と肉体」という考え方の元「死」というものを肯定的に捉えて終わるのだが、ここまで「肉体」を嫌悪する表現を、中学生の女の子に語らせるあたりが、梨木香歩という人の感覚の鋭さ、美しさを示していると思うのだ。

p.133
「喪に服す、というのはまいには初めての言葉だったが、何となく意味はわかった。そして、まいの気持ちをあらわすのにぴったりの言葉だと思った。」

ことばを獲得することで、自分の感情が整理されることをうまく示した例であろう。このあたりの描写もとても素晴らしい。


「死」について主人公まいが、お父さんに聞いて、納得できない答えを聞いた時の、まいとおばあちゃんの会話。

p.156~p157

「あんまり無責任じゃない? ひどいよね。父親の自覚のない人なんだ」
「まいのパパはいつだってそのときの自分に正直なんですよ。~中略~」
~中略~
「まあ、悪い人じゃないよね。ただ、ちょっと想像力がなかったんだな。~中略~」
「そうですね。でもその手の想像力の欠如している人って世の中には多いですよ。」

ここにまいが世間とうまく折り合えない根本的な理由があるのだ。他人に対して、世間に対して想像力がありすぎる人間。敏感すぎる人間。そうした人々を想像力がない人間、鈍感な人間は気がつかないのだ。

敏感な人の心に素晴らしく寄り添う本。

後日談のような、本編の次に付された作品短編「渡りの一日」も良かった。
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