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神曲 天国篇 [文学 イタリア]


神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

  • 作者: ダンテ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/04/03
  • メディア: 文庫



『神曲 天国篇』を読み終わった。
神学的な話しが多く、地獄・煉獄・天国と三冊の中では一番読みづらいらしいが、私は一番読みやすかった。
地獄と煉獄は、ギリシア・ローマの知識に加え、当時のイタリア、特にフィレンツェの状況・個人を知らなければ分からない部分が多々あったが、この天国篇はある程度聖書の知識があればわかるし、日頃から「神」について考えていると、彼らが論じていることが分かりやすい。しかも他の巻に比べ、一つ一つの内容に関して、それなりに長い行を要しているのである程度頭に入って気安い。とはいえ、やはりもともと詩であり、極限まで無駄をなくした形で文章が構成されているので、普通の小説や論文にくらべればわかりづらいことは間違いない。

小説として面白いか、というとそうでもないし、神学を論じた文章として深く考えさせられる内容かというとそうでもないし、かなり中途半端で、傑作か、と問われれば全くそんなことはないのだが、詩という形態で地獄から天国までを描いた、という意味で素晴らしい作品なのだろう。

ゲーテの『ファウスト 第二部』同様、いまいち消化し切れていない部分も多いのだが、世界的な古典的名著といわれるこの2冊をこの2ヶ月読めたのは良かった。
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神曲 煉獄篇 [文学 イタリア]


神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)

神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)

  • 作者: ダンテ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/01/26
  • メディア: 文庫



『神曲 煉獄篇』を読み終わった。地獄は現世で神/イエス・キリストに心を向けなかった人が行く場所。煉獄は死ぬ間際に、神に心を向けたが、それまでの生活が良くなかったのでそれを贖うために行く場所ということらしい。ということで、地獄に行った人々と同じような行いをした人々がたくさんこの場所には集まっている。
この煉獄篇では、ダンテの「愛」「信仰」に対する考え方が、ヴェルギリウスの口を通して語られるところが面白い。とはいえ、やはり「詩」の形式なので、話しが体に入ってきづらく、正直全体像をつかむのが困難ではある。

キリスト教、ギリシア・ローマの知識に加え、当時のイタリア、特にフィレンツェの政情などの理解がないと結構わからない。本というものは、基本的にはその当時生きていた(る)人々に向けられて書かれており、同時代を扱ったものではないにしろ、作品がその時代を反映するのは当然だ。古典作品を読む際の困難さの一つといえる。

まあ、基本的にはダンテの現世における道徳的腐敗に対する批判がほとんどなのであろう。

最後にベアトリーチェが登場する。
彼女は、ダンテに、自分が死んだ後他の女性に心を向け、神に対する信仰を怠ったことを批判するが、彼女は歴史的にはダンテ以外の男性に嫁ぎ、そこでなくなったのだから、ダンテが他の女性にこころを向けるのも当然といえる。他の男性にとついでも、理想の女性であり続けたベアトリーチェ。さぞかし心の美しい素晴らしい女性だったのであろう。

最後はこのベアトリーチェとめぐる天国篇。楽しみだ。
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神曲 地獄篇 [文学 イタリア]


神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

  • 作者: ダンテ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2008/11/20
  • メディア: 文庫



ダンテの『神曲 地獄篇』を読み終わった。
現世について色々考え思い悩んでいた主人公が、森に入り込み、そこで詩人ヴェルギリウスに出会い、地獄・煉獄・天国を見てまわる物語。

その第一巻『地獄篇』を読み終わった。この本は、当時の道徳的に腐りきった社会に対する、痛烈な批判を目的にかかれたものであろうことは想像できる。ギリシア・ローマ時代の様々な有名な人や伝説的な人物を登場させ、この世における悪をひたすら読者に突きつけ続ける。法的な悪、というよりは道徳的な悪を引き合いに出しているのが面白い。予言や裏切り、性的な乱れ、こうしたことが裁かれるのはもちろんだが、キリスト教を信じなかったということで地獄に落とされているのも非常に興味深い。私の大好きなプラトンも地獄にいるのだ。プラトンやアリストテレスはキリスト生誕以前なのでしょうがない気もするのだが・・・。

そして驚いたのは、プッチーニやドニゼッティーにオペラで取り上げられている人物なども登場することだ。「私のお父さん」というアリアで有名な「ジャンニ・スキッキ」も人をだました罪で地獄に落とされている。

とはいえ、詩の形式で書かれているので、内容は頭・体に入って来づらい。章の始めに大体の内容が要約として示されているので、何となくわかるのだが、これがなかったら結構厳しいと思う。

この間読んだ、ゲーテの『ファウスト』といい、このダンテの『神曲』といい、とにかくギリシア・ローマ、キリスト教の知識がないとかなり読み進めるのは難しく、面白くない作品といえる。

昔、浪人時代、英語を分かりたいなら「キリスト教・シェイクスピア・マザーグース」の知識は絶対に必要だと言われた。ヨーロッパのことを分かりたいなら「ギリシア・ローマ」の知識は絶対に必要だと改めて思った。

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新生 [文学 イタリア]


新生 (河出文庫)

新生 (河出文庫)

  • 作者: ダンテ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/07/04
  • メディア: 文庫



ダンテの『新生』を読み終わった。
そもそもは、『神曲』を読みたいと思ってどの出版社のがいいのか色々探していたところ、この本に出会い、『神曲』を知るためには重要な本と、色々な場所で目にしたので買ってみた。

とにかく素晴らしい本だった。解説にもあるように、自分の恋を物語、その時その時で出来た詩をその物語に付すという、『伊勢物語』に近い作品となっている。

基本は理想の女性ベアトリーチェへの片思いを綴った物語なのだが、まったくべたべたしておらず、基本的には、終始自分の心の中での対話を文字化しているだけなので、他人に対する批判めいたところなどもなく、非常に美しい作品となっている。

とはいえ、会話文もあまりなく、二人の関係を客観的に描写する文章などもないので、作者が書いていることから状況をイメージするしかなく、一連の物語としてよどみなく読んでいけるかというとそういう作品ではない。ある意味、ヴァージニア・ウルフなどの作品に近く、「意識の流れ」小説的な面もある気がする。

何にせよ、無駄な性描写などもなく、常にプラトニックな恋愛を描き、美しい詩がふんだんにちりばめられたこの作品。非常に日本の古典作品にも通じるところがあり、もっとこの日本で受容されてもよいのではないか、と思ってしまった。
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休戦 [文学 イタリア]


休戦 (岩波文庫)

休戦 (岩波文庫)

  • 作者: プリーモ・レーヴィ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/09/17
  • メディア: 文庫



プリーモ・レーヴィの『休戦』を読み終わった。以前『アウシュヴィッツは終わらない』という筆者のアウシュヴィッツ体験を描いた作品を読んだことがあった。過酷で悲惨な体験を、冷静に客観的に緻密に描いており、『夜と霧』と並ぶ、素晴らしい作品であり、とても考えさせられた。

数年前、同じ筆者による、この『休戦』が岩波文庫から出て、興味はありずっと読みたいと思っていたのだが、なかなかタイミングが悪く手に取ることがなかった。出版から数年経つが、品切れになることなく店頭に並んでいるので、これからも多くの人が手に取りやすい状態は続くと考えられる。

今回、仕事の関係で、この本を読むことになり、ついに手に取った。

アウシュヴィッツがロシア軍により解放された場面からはじまる。これは『アウシュヴィッツは終わらない』の最後の場面の続きに当たる場面なので、この両著を続けて読むとより深い理解が得られると思う。
はじめのうちは、やはりアウシュヴィッツの傷跡があり、かなり陰鬱な雰囲気なのだが、場所を移動しながら時を重ねていくうちに、様々な人々と出会い、主人公の心に人間的な温かみが取り戻されていく。明るい話しではないのだが、最終的に故郷に帰る、という結末が見えているせいもあるが、全体的にポジティヴな雰囲気に満たされており、とても読みやすい。

ただ解放されてからイタリアに帰るまでの話しなのだが、その土地土地で出会う人々の描写が細やかでとても面白く、小説としても良くできていると思う。

先にも書いたが、『アウシュヴィッツは終わらない』とセットで読むことをお勧めする。
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痴愚神礼賛 [文学 イタリア]


痴愚神礼讃 - ラテン語原典訳 (中公文庫)

痴愚神礼讃 - ラテン語原典訳 (中公文庫)

  • 作者: エラスムス
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/01/23
  • メディア: 文庫



『痴愚神礼賛』を読み終わった。世界的名著であり、カトリック教会のあり方を批判した書であり、ルネサンス文学の傑作であるということは、世界史的な知識としては知っていたが、読んでみようと思ったこともなく、何となく、内容も想像がつくので、手に取ってみたこともなかった。

今回読んでみて、結構読みやすく、面白い本であることが以外であった。トマス・モアの『ユートピア』もそうだが、やはり傑作と呼ばれている本には何かがある。もちろん、翻訳者の方々の素晴らしさがなければこういった本の面白さは伝わらないのであろうが、やはり原文自体が素晴らしいのであろう。

痴愚女神が登場し、人間達が自分の恩恵にどれだけあずかっているかということを滔々と述べていく。前半の半分くらいは、一般の人々の痴愚さを語るのだが、後半に入ると、この本の真骨頂である、聖職者批判、権力者批判になっていく。彼らは精神的に高貴であるふりをしたり、えらそうにしているが、所詮自分の恩恵を受けている、つまり一般大衆と同じく、いやそれ以上に痴愚であることを訴える。

最後のほうは、痴愚女神が人間の痴愚さを語るという本来の意図からずれ、神に心を向けるとはどういうことなのか、人間はどのように生きるべきなのか、というようなことが、ストレートに語られていく。読んでいて自然な流れではあるのだが、少し最後はとまどってしまった。が、この部分には結構プラトンからの引用も多く、改めて、プラトン思想とキリスト教思想の親和性を感じた。この最後の部分が最も面白く、感動的であった。

以下、面白かった部分を少し掲載したい。

p136
「物書きの先生たちは、まあなんとめでたい狂態に耽っていることでしょう。夜を徹して文を練ることもなく、心に浮かぶよしなしごとをかまわず筆に載せ、夢に見たはかないこともただちに文に綴りまして。かかるものはと言えばせいぜい紙代だけです。それも、書くものが馬鹿げたたわごとであればあるほど、より多くの読者に、つまりは世のあらゆる阿呆で無学な連中に、喜び迎えられるということを知っているからなのです。」
これぞ、まさに今の日本の現状であろう。

p170
「支配権を握った者は、私事を捨てて公のためにはたらき、自分個人の利益は顧みずに、公の利益のみを考えねばならないのですからね。」
これもプラトンの『国家』に述べられている哲人王の思想と同じことを述べており、あらゆる権力を持った痴愚どもに聞かせてやりたい。

p188
「要するに、教皇だろうが、王侯だろうが、裁判官だろうが、役人だろうが、友人だろうが、敵だろうが、貴賎の別なく、どこを向いても万事が金銭によって動いているのです。なにぶん賢者は金銭を軽蔑しておりますので、賢者を避けて通るのが世の習いというものです。」
これは、最高の一文だと思う。特に金に侵された日本人達は、この本を自分のこととして読んでみるべきなのだろう。

本当に面白かった。
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