痴愚神礼賛 [文学 イタリア]
『痴愚神礼賛』を読み終わった。世界的名著であり、カトリック教会のあり方を批判した書であり、ルネサンス文学の傑作であるということは、世界史的な知識としては知っていたが、読んでみようと思ったこともなく、何となく、内容も想像がつくので、手に取ってみたこともなかった。
今回読んでみて、結構読みやすく、面白い本であることが以外であった。トマス・モアの『ユートピア』もそうだが、やはり傑作と呼ばれている本には何かがある。もちろん、翻訳者の方々の素晴らしさがなければこういった本の面白さは伝わらないのであろうが、やはり原文自体が素晴らしいのであろう。
痴愚女神が登場し、人間達が自分の恩恵にどれだけあずかっているかということを滔々と述べていく。前半の半分くらいは、一般の人々の痴愚さを語るのだが、後半に入ると、この本の真骨頂である、聖職者批判、権力者批判になっていく。彼らは精神的に高貴であるふりをしたり、えらそうにしているが、所詮自分の恩恵を受けている、つまり一般大衆と同じく、いやそれ以上に痴愚であることを訴える。
最後のほうは、痴愚女神が人間の痴愚さを語るという本来の意図からずれ、神に心を向けるとはどういうことなのか、人間はどのように生きるべきなのか、というようなことが、ストレートに語られていく。読んでいて自然な流れではあるのだが、少し最後はとまどってしまった。が、この部分には結構プラトンからの引用も多く、改めて、プラトン思想とキリスト教思想の親和性を感じた。この最後の部分が最も面白く、感動的であった。
以下、面白かった部分を少し掲載したい。
p136
「物書きの先生たちは、まあなんとめでたい狂態に耽っていることでしょう。夜を徹して文を練ることもなく、心に浮かぶよしなしごとをかまわず筆に載せ、夢に見たはかないこともただちに文に綴りまして。かかるものはと言えばせいぜい紙代だけです。それも、書くものが馬鹿げたたわごとであればあるほど、より多くの読者に、つまりは世のあらゆる阿呆で無学な連中に、喜び迎えられるということを知っているからなのです。」
これぞ、まさに今の日本の現状であろう。
p170
「支配権を握った者は、私事を捨てて公のためにはたらき、自分個人の利益は顧みずに、公の利益のみを考えねばならないのですからね。」
これもプラトンの『国家』に述べられている哲人王の思想と同じことを述べており、あらゆる権力を持った痴愚どもに聞かせてやりたい。
p188
「要するに、教皇だろうが、王侯だろうが、裁判官だろうが、役人だろうが、友人だろうが、敵だろうが、貴賎の別なく、どこを向いても万事が金銭によって動いているのです。なにぶん賢者は金銭を軽蔑しておりますので、賢者を避けて通るのが世の習いというものです。」
これは、最高の一文だと思う。特に金に侵された日本人達は、この本を自分のこととして読んでみるべきなのだろう。
本当に面白かった。
2017-10-13 07:11
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