夜のピクニック [文学 日本 恩田陸]
圧倒的な本だった。
とにかくひたすら歩いているだけ。しかもたった二日間の物語。
会話だけでこれだけ物語をふくらませ、さらに人間の感情を細やかに描き出し、そこにいない、遠くにいるアメリカの友人の存在も浮かび上がらせる。
ピアノのコンテストを描いた『蜜蜂と遠雷』も圧巻な作品だったが、この本も素晴らしかった。
登場人物たちの一人一人の性格も細かく設定されており、主役と言える4人以外の数名の登場人物たちもそれぞれが魅力を放っていた。
それぞれの人物たちが今後どういう人生を歩むのか、それぞれどのような恋愛をしていくのか、ということがとても気になる、そんな思いを抱かせ、爽快な読後感を残す素晴らしい作品だった。
修学旅行や様々な行事で、子どもたちはテレビを観たり、カードゲームをして時間を潰すのだが、そうしたことが一切必要なく、そうしたものが使えない状況こそが尊い時間なのだ、ということを教えてくれる素晴らしい作品。
是非多くの高校生に読んでもらいたい美しい物語だ。
祝祭と予感 [文学 日本 恩田陸]
恩田陸の『蜜蜂と遠雷』があまりに素晴らしく(最後のコンクール最終審査の場面は別として)、栄伝亜夜のその後も少し気になっていたので、スピンオフシリーズの、この『祝祭と予感』が文庫化された時買おうと思ったのだが、こういうスピンオフシリーズは結構当たり外れが大きいので一度図書館で読んでみてからと思い、図書館で借りてみた。
亜夜とマサル、ナサニエルと三枝子、菱沼忠明、マサルとナサニエル、亜夜の親友奏、ホフマン先生と風間塵、を描いた小品集。面白くはあるのだが、やはりスピンオフ集に過ぎず熱中するという感じではなかった。文庫版には、恩田陸の音楽エッセイ集のようなものも付されているのだがこれも普通。
図書館で借りて読んでみて良かったと思った。
チョコレート・コスモス [文学 日本 恩田陸]
インターネットで恩田陸の作品のあらすじを色々見ていたところ、『蜜蜂と遠雷』の演劇バージョンのような感じの紹介があり、「とっても面白い」ということだったので読んでみた。
芸能界のサラブレッド東響子と、小さい頃から空手を習い自分なりに演劇の稽古を行ってきた天才肌佐々木飛鳥。この二人が舞台で激突する。舞台に至るまでの人間模様、舞台上での人間模様など、結構生々しく描かれおり確かにとっても面白かった。
とっても印象的な言葉を最後に紹介したい。
p.541
「役者は、人間なんだよ。役者は、人間をやるんだよ。人間って、今言ったようなもの(自我、エゴ、自尊心、虚栄心、羞恥心)でできているようなもんでしょ。エゴとかプライドとかって、最も人間臭い、人間のいやらしさと崇高さと矛盾を含んだ部分だよ。そういったものがない役者が人間をやったって、ちっとも面白くないでしょう。」
『蜜蜂と遠雷』でもそうだったが、恩田陸はあくまでも芸術の中にある人間を徹底的に描こうとしている。
面白い小説だった。
蜂蜜と遠雷(下) [文学 日本 恩田陸]
『蜂蜜と遠雷』を読み終わった。下巻は第二次予選後半から最後まで。
この本のテーマであろう、「音楽とはそもそも自然の音を模したものだった」ということと、「人の内面そのものが音として表れる」ということが、繰り返し色々な人の視点で語られるところが素晴らしかった。音は聞こえてきていないのに、文章を読んでいるとまるでその音楽を聴いているかのような錯覚に何度も陥ってしまった。それくらい真に迫った文章だった。
そして、俗にいう「クラシック」音楽は、昔の人の音楽を演奏すること、と現代は捉えられているが、当時は「流行」音楽であり、演奏家であると共に作曲家だった。それが何故現代はなくなってしまったのか、というのは私が常々考えてきたことだ。ビリー・ジョエル、ポール・マッカートニーなど、ポップスの作曲家がクラシック寄りの曲を演奏しても、あまり話題にならない。辻井伸行が自分の曲をちょこっとアルバムにいれたりはしているがやはりそこまで話題にならない。
リストやショパン、メンデルスゾーンのような素晴らしい才能を持った演奏家兼作曲家を私も待望している。
ちなみに、この本はとっても素晴らしく感動したのだが、二点だけ不満がある。
p.408~p.409の栄伝亜夜と風間塵が、ラフマニノフのピアノ・コンチェルト第三番の話題をするところで、「ピアニストの自意識ダダ洩れ」という表現が出てきて、その「ダダ洩れ」の意味が分からない塵が亜夜に意味を聞いたところ、「演奏が終わったら教えてあげる。演奏中に意味考えてみてよ」と亜夜が答えるのだが、結局、演奏が終わった後の二人の会話はこの本では切られてしまっている。ここはどういう会話をしたのか、塵が演奏からどのような感じを受け取ったのかはぜひ読んでみたかったところだ。
さらに、ここが一番の不満なのだが、栄伝亜夜の最後の演奏プログラム、プロコフィエフのピアノ協奏曲第二番の演奏の詳細がバッサリ切られて書かれていないことだ。彼女の演奏が始まるところから、物語は一気にコンクール終了後の、審査員二人の会話に飛んでしまい、唐突に終わる。最後の場面を書くのが面倒になったのか、色々な余韻を残したかったのかは分からないがかなりここは不満が残る。
栄伝亜夜の演奏を詳細に描き、演奏後の亜夜、塵、マサル、奏の会話をリラックスした感じで描き、いよいよ順位の発表・・・そしてここで一気に審査員の二人の会話に飛ぶ、という流れが自然なのではないだろうか。
関係ないが、私は推理小説などで犯人を最初に誰かに言われてしまうことにあまり抵抗がない。物語の結末が見えていても十分楽しめるのだ。だが、この小説は最後まで、最終的な順位を知りたくないと思った。それくらい物語に入り込める、素晴らしい小説だったと思う。それだけに、最後は非常に非常に残念だった。
蜜蜂と遠雷(上) [文学 日本 恩田陸]
母が数年前、入院した。母はピアノ教師で、あまり本などは読まない。そんな母も流石に長い入院期間は退屈だろうと思い、お見舞いに買ってあげた本。「結構楽しかった」と退院後もらっていたが、ほかに読む本がたくさんあったのと、結構分厚いので今まで読まずにいた。
非常に面白かった。直木賞・本屋大賞をW受賞するのもうなずける作品。
ピアノ・コンクールの話なのだが、スポットがあたる登場人物たちが、とにかく「音楽を楽しむ」ということを主眼に置いており、争うことよりも自分の音楽を見つけることに必死であることがとても共感できる。一人ひとりの人物描写も丁寧で、音楽的な部分もとても素晴らしく描かれている。若干恋愛的な部分もあり、とても楽しめる作品。
久しぶりに、のめり込んでしまう小説に出会った気がする。