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たくみと恋 [文学 ドイツ]


たくみと恋 (岩波文庫 赤 410-0)

たくみと恋 (岩波文庫 赤 410-0)

  • 作者: シラア
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1991/03
  • メディア: 文庫



シラー作『たくみと恋』を読み終わった。
この作品も、『新エロイーズ』『令嬢ユリェ』と同じく、身分違いの恋を扱っている。しかし、今回は、男が貴族で女が平民という設定。
宰相の息子フェルディナントが、音楽家の娘ルイイゼに恋をしてしまうという話。

宰相は息子に政略結婚をさせようとしているため、この二人の恋に大反対。そこで、部下を巻き込んで、策略を練り、この二人を別れさせようとする。その策略に見事にはまり、息子フェルディナントはルイイゼを疑い、最終的に毒殺してしまう。

シェイクスピアを敬愛していたといわれるシラー。『ロミオとジュリエット』『オテロ』を彷彿とさせるプロットや心理描写は読んでいてとても惹きこまれた。今まで『ワレンシュタイン』『群盗』『ヴィルヘルム・テル』と様々なシラー作品を読んできたが、一番筋などにも無理が無く、ドラマ性に富み、しまった内容で、思想的にも深く、楽しむことが出来た。

以下、心に残った数節を紹介したい。

p.17
「今に、差別という垣根が倒れて、身分といふいやな殻がとれて、人間が只ありのままの人間になる時が来れば、その時こそはねえ。―その時わたしの持っているものは純潔というものだけですけど、でもお父さんが何度もおつしやつたじゃありませんか。神様が姿をお見せになれば、飾りとか立派な肩書とかいふものは値がやすくなって、心というものの値段があがるんだつて。そうなればわたしお金持になるわね。そのときには涙が手柄、美しい考へが家柄という風に値踏みされるのね。」
ヒロインであり、平民の心美しい女性ルイイゼの言葉である。本当に早く神様が姿を見せて欲しいものである。

p.57
「因習と自然との喰ひ違ひが深ければ深いほど、私の希望は益々高まっていきます。私の決心と周囲の偏見!―一時の風習が勝つかそれとも人道が勝つか、私は一つやって見ようと思うのです。」
貴族制(=くだらない伝統):因習、周囲の偏見、一時の風習
平等 (=目指すべき社会):自然、私の決心、人道(=身分違いの恋)
何年経っても、くだらない伝統は残っている。周囲の偏見というものは決して一時の風習ではない。いつになったらこのくだらない因習はなくなるのだろうか。

そして、最後にたくらみが明るみに出たときの、フェルディナントの父の宰相の言葉。

p.173
「(天に向かって烈しく腕を動かす)審きの神よ。この二人の魂を奪ったのはわしではない。わしではない。この男じゃ。(ヴルムに詰め寄る)」
最後の最後で、責任を部下に押し付けるこの姿。どこかの国の総理大臣、どこかの大学のアメフト部監督と全く同じである。本当に上にたつべき人間ではない人間が、どれだけ上にたっているのであろう。

この作品を読んで、あらためてあらためて、社会というものは変わらないのだなあと感じた。

まさに、現在の多くの日本に住む人々に読んでもらいたい傑作である。
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