SSブログ

魅せられたる魂(四) [文学 フランス]


魅せられたる魂〈4〉 (岩波文庫)

魅せられたる魂〈4〉 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/11/16
  • メディア: 文庫



4巻を読み終わった。ストーリーも読みやすくわかりやすくなり、思想的にも筆者ロマン・ロランが伝えたいことがなんとなくだが伝わってきて、結構面白かった。1巻は新鮮で、結構面白かったが、2巻、3巻はかなりつまらなく、あとはひたすら流し読みになるのか!?と思っていたので、嬉しい誤算だった。

第一次世界大戦も終わり、主人公アンネットは職を転々とし、外国にまで働きに行きながら何とか食いつなぐ。アンネットの息子マルクは、大学を卒業したものの母親譲りの純粋な潔癖な性格から中々良い食にありつけず、叔母シルヴィの面倒になりながらも、何とかそのひぐらしをしながら食いつなぐ。その叔母シルヴィは洋服店がかなり繁盛し、若い頃の放蕩にも飽きてきて、養子を三人引き取り落ち着いた生活を始める。

そんな状態の中、主人公アンネットが働き出した新聞社の社長チモンと何となく良い関係になる。息子マルクは一次瀕死の状態になるが、偶然隣に住んでいた亡命ロシア人、アーシャの看病のおかげで一命を取り留め、ふたりは恋仲になり、やがて結婚する。

これで、めでたく、皆が平穏な暮らしを初めて大団円を迎えるのかと思いきや、アーシャがロシア革命に関わるようになってしまい、フランスに来ていた重要人物ジャネリジェと知り合いになり、彼がフランスからロシアに変える際、荷造りをしている時、一時の感情に流され肉体関係を持ってしまう。そのことを夫マルクに何故だか告白してしまい、ふたりは絶縁状態になる。

といった感じで、様々な人たちの微妙な恋愛感情をかなり緻密に描くと共に、混沌とした政治状況の中、自分の良心を何とか守ろうとする人々の心の葛藤、思いと行動の矛盾に苦しむ姿なども描いており、とても興味深かった。

この本には珍しい、印象に残ったフレーズを紹介したい。

p.79
「新しい支配者たちは旧支配者に比べて進歩を示していた。彼らは古ぼけた国家主義を見限った、幾世紀このかた父子相伝の、虚栄、怨恨、憎悪、遺伝的自負心などの重い愚にもつかぬ荷物を境界越しに投げすてた。柵を打ち壊し、事業と利得の国際主義の建設につとめた。
 しかし彼らが使い古した腐食した首輪に代えるに、それとは違った仕方で束縛する新しい鎖を持っていることを発見するのに手間は取らない。彼らは牢獄を確証した、がそれは幾百万の人間を入れるためで、単に喜劇のあらゆる役を奪い合っている職業政治家連ばかりでなく、あらゆる端役や、補役や観客さえも、芝居全体を(に???)いれるためである。もう逃れるわけにはいかない。将来の戦争では一般民も、女子も、老人も、不具者も、子供も撲られるように――国際資本主義の模範的牢獄では、めいめいに番号があって、唯一人の独立者も認めないだろう・・・・・・いや!何も乱暴なことはしない! この機構は実に完全なので、それに服従するか餓死するより他に選ぶ途はないだろう。新聞や世論の自由などは昔の空想になるだろう。」

かなり長いがどれも重要な言葉なので全部引用した。古い封建主義的なくだらない伝統を、第一次世界大戦の集結と共に打破したと思われたヨーロッパ社会だが、結局それは新しい軛を呼び込んだに過ぎなかった。自由主義と言われるような、一人ひとりが一見すると自由であるような社会に移る前の、社会は様々なものにがんじがらめにされていたようで、実は心の自由のようなものはあった。しかし、自由主義、イコールではないがほぼ同じような意味として機能してしまう国際資本主義が跋扈することにより、全ての人間が金の奴隷となってしまう。これはまさにマルクスが言わんとしていたことなのではないだろうか。そして、全市民を巻き込む第二次世界大戦を引き起こす。さらにそれが終わっても、メディアの批判を受け付けないような、現在の日本のような民主主義の最先端を行っていると思われているような国の状態に陥ってしまう。

本に書かれている情報から読み取ると、この本は1922-1933年に書かれたようである。つまり第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦までの、あいだに書かれている。このあいだに、まさに第二次世界大戦が起こることを、そして起こった場合の戦争のあり方を予言し、戦後、資本主義の引き起こす人々の奴隷状態も予言し、現在の日本の状況も予言してしまっているとも言える。この箇所を読んだとき、あまりにも現在の状態とぴったりしていたので思わず震えてしまった。

そんな社会で、人々はどう生きるべきか、それを次の箇所で読者に訴えかけている。
マルクと結婚すべきかどうか悩んでいたアーシャに、アンネットが語った詩。

p.317
『わたしはおんみにわたしの心をあたえる、
 わたしはおんみにわたしの生命をあたえる、
 しかしわたしの魂は、おんみに与えはしない、
 この宝はわたしのものではないのだから』

これはアンネットが結婚しようかどうか迷っていたとき、結局相手の男性が言葉では相手の自由を尊重するようなことを言いながら、心の中では、魂までも自分に服従することを求めていることを知り、結婚をやめたアンネット自身と重なる。結局他人は心の奥底、つまり魂を売り渡すことはできないし、してはいけない。だが、上記のような社会では、魂を売り渡して生きざるを得ないような状況になってしまい、ほぼ全ての人が魂を売り渡す。ある意味それに何とか立ち向かおうとしている人たちを描いた作品なのだろう。非常に感動的なテーマであるのだが、彼の理想主義が上手くストーリーに生かしきれていない。

もう少し簡潔にわかりやすいストーリーの中で、この思想を織り込んでいけたら、もっと読まれる作家になっていただろうに、と少し残念に思うのだ。

さらにもう一つ、息子マルクの思想を描いた箇所
p.327
「マルクは未だかつていかなる思想団体にも加わることができなかった。~中略~ いろいろな主義間の争いが彼になんの関係があるだろう――唯物論といい、唯心論といい、社会主義といい、共産主義といったところで!・・・・・・それはいずれも繋いだ犬の首輪なのだ。」

私も常々思うのだ。キリスト教もマルクスも素晴らしいとは思う。しかしそれが団体となった時、どこかで精神性を失ってしまう。純粋さがどこかで欠落してしまうのだ。それはどうしてもしょうがない。社会の中であるものを維持していこうと思ったとき、純粋なだけでは生き延びていけない。維持するためにはお金がかかる。しかしそれに何とか抵抗しようとして必死に生きる人々を描いているのがこの作品なのだろう。先程も書いたが、痛いほど訴えかけたいことはわかるのだが、あまりにもくどくて、わかりづらい。

なんにしろ、後一巻。とても長い最終巻だが、何とか読みきれそうだ。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。