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エッセイ 創作の周辺 [文学 日本 松谷みよ子 エッセイ]


松谷みよ子の本 (第10巻) エッセイ

松谷みよ子の本 (第10巻) エッセイ

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1996/05/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



松谷みよ子の自作に製作過程、制作秘話などを集めたエッセイ集。
『龍の子太郎』という作品に対してなされた批判、に対してなされた批判を書いた「私もひとことー『龍の子太郎』批判によせて」というエッセイが非常に面白かった。これも『デジタル・ファシズム』と同じで、「今だけ金だけ自分だけ」思想にとらわれた人からの批判を批判するものといえる。

pp.208~209
「社会主義になったとしても、次の日から矛盾は生まれ、権力は生まれます。いついかなる状況の中でも矛盾はあるのです。イワナ一匹でも百匹でも。しかし問題は、イワナ一匹の状況、百匹の状況の中で、何を為すべきかを考えることのできる人間、立ち向かう人間が必要なのではありませんか。~中略~戦争中に育った私たち世代は、戦後民主主義とあざけられようと、やはり二度と戦争は繰り返すまい、子供たちを飢えさせまいと、営々と戦って・・・・・・というのはおこがましいにしても、働きつづけてきました。しかし気がついてみればこのざまです。痛恨の思いは深く、新たなる出発点を求めて苦悩しているのが同時代の人々の現状と云えましょう。
 前おきが長くなりましたが、こうした愚かなる先輩どもの作品をハッシと斬る細谷さんの発想に、私は、細谷さん自身が否定してやまないGNP的時代、豊かさの時代に育った人間の発想とでもいうべきものを感じるのです。」

p.210
「しかし、細谷さんは、~中略~、知識で考えるんですね。心で感じられない。~中略~合理的であり打算的なんですね。」

文学不要論、芸術などの不要不急論と似たものを感じる。すぐに結果が出ないものは不要である、という非常に打算的つまり「今だけ金だけ自分だけ」思想がすみずみまで行き渡っているのだ。これが書かれたのは1975年らしいが、50年近く経った今、さらに社会はこうした細谷さんのような人間に溢れている。現状を見て松谷みよ子さんならばなんというのであろう。

彼女が反戦・嫌戦思想の持ち主であったのは彼女の作品を読めば分かる。しかし感情的な被害者意識からの反戦思想ではなく、加害の歴史にちゃんと向き合った人だったというのがエッセイのいろいろなところから垣間見える。

p273
「いままで引き揚げは戦争の被害者の視点が多く捉えられていたように思う。しかし加害者であった日本と、被害者である日本人の引き揚げは表裏一体としてとらえねばならないのだった。」

p291
「「当時のカナダ政府のとった行動はー戦争による緊張と恐怖と圧力と不合理によってとらえられたものとはいえー人間の権利の原則に関するカナダ伝統の公正さと貢献にとって汚点でありました。私たちはこの事を誇るものではなく・・・・・・。」
 私は原稿を閉じて、日本の首相がこのように率直に朝鮮人に対し、差別の歴史をふりかえって謝罪することがあろうかと思った。現体制がつづくかぎり、ありえない事であろう。日本人の一人として、私は恥じた。」

なかなか自分の非を認められない人がいる。特に権力者に多い。しかし自分の非を認めることでしか進んでいかないことが多い。

本当に平和で豊かになるために我々が本当に行うべきこと、制作、作り出すべき社会はなんなのか、こうした作品を読むことで多くの人に考えてもらいたいと思うのだが・・・。
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