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妖精が舞い下りる夜 エッセイ① [文学 日本 小川洋子 エッセイ]


妖精が舞い下りる夜 (角川文庫)

妖精が舞い下りる夜 (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 1997/09/19
  • メディア: 文庫



小川洋子さんの初期エッセイ集。
自分の小説に対する向き合い方、仕事と子供のこと、阪神タイガースのことなどが、語られている。

p.25
「過去に誰かが初めて主婦作家という言葉を作り出した時には、責任に裏打ちされた判断があったと思う。ところが、新しい言葉は地位を固めてゆくうちに、段々便利な鋳型に変身してしまう。鋳型にポンと放り込んでしまえば、中身はなくても格好だけは、ひとまず整うのだ。」

これは言葉に限らずどんなことにも言えると思う。初めて何かを編み出した人は責任を持ってそのことを動かしている。しかしそれが続くとどうしても無責任に形だけが独り歩きし、それをありがたがったりするようにもなる。すごく共感した一節だ。


p.40
「読み終わった時、読者がうまく現実に戻ってこれなくて立往生してしまうような小説、自分のいる場所があいまいに揺らいでしまうような小説、をかきたいと願っている。」

この一節を読み、だから私は小川洋子という作家が好きなのだなあと思った。


p.45
「飾りに惑わされないで、人間の本当の姿を浮き上がらせる作品を書きたいと思う。」

彼女の作品は、飾りに惑わされない素晴らしい小説だと思う。


p.50
「わたしがたまらなく小説を書きたくなった瞬間は、初めて我が子の産声を聞いた時だ。人間はこんなにも哀しい声で泣けるものなのか、と驚いてしまった。人間が生まれる時から既に抱えている哀しみの結晶を、言葉にできたらと思った。」
pp.106~107
「何といっても、産声が印象的だった。赤ん坊が生まれてすぐ泣くのは、これから出会うであろう様々な困難を哀しむからだ、という話を聞いたことがある。」
私は生まれた時から、人間は苦難や、哀しみの連続だと想っている。それをこのように言葉で表現できることが素晴らしいと思った。


p.122
「男女のセックスというのは、自然で、本能的で、ありふれていて、誰にでも一応の理解はできる。だからこそ、道徳の手垢にまみれてもいる。ある男女が、できているかできていないか、肉体関係のあるなしで判断したりする。そんなふうにセックスが道徳的価値基準の物差しに使われたりすると、物書きとしてはつまらなくてうんざりしてしまう。そこで、男や女、肉体や生殖、本能や道徳に惑わされない、もっとデリケートな人間の関係を探ってみたいという気持ちから、小説を書いている。」

これを読んだ時も非常に共感した。中学・高校時代、周りがセックスの話題で盛り上がっているのが、彼女とセックスしたかどうかでいろいろなことが語られることに非常に違和感があった。それは大人になった今でも続いている。そんな自分のずっと抱いていた違和感を言葉にしてもらった感じだった。


p.217
「子供の頃から、旅行というといつも、必要以上に緊張していた。遠足や修学旅行の前、~眠れない。
 バスに酔わないだろうか、お弁当は誰と一緒に食べてくれるだろうか、おこづかいをおとしちゃったらどうしよう・・・・・・。などと、つまらないことばかり心配していた。」

これも、敏感でない人には決してわからない感覚だろう。


短いエッセイを集めたものなのだが、何となく救われた気がした。ますます小川洋子という作家を好きになった。
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