近代家族の成立と終焉 新版 [学術書]
前著『家父長制と資本制』の延長線にある問題意識のもとまとめられた、論文集のようなもの。
元々は1994年に出版されたものらしいが、その後の論文や講演なども収録されており、かなり分厚く、興味深い作品だった。
特に江藤淳を扱った、第Ⅳ章で、男流文学を論じたところで、
p.336
「男性批評家たちが高く評価してきた日本近代文学のカノンを女の目で読み直すと、評価がひっくり返ってしまうよ、と緻密な読みを経て提唱したのが『男流文学論』です。日本近代文学史の系譜を紐解くと、村上春樹に至るまで、男性作家によるミソジニー小説が累々と書かれ続けていることがよくわかります。」
私は村上春樹の小説があまり好きではないのだが、これを読んで何となく納得した。
p.91
「婚姻の安定性が離婚の自由のない抑圧によって維持されるよりも、離婚したいときに離婚する自由を行使できる社会の方が、女性にとってはまだましにちがいない。また、婚外の妊娠を中絶で闇に葬るというという選択を強いられる社会よりは、産みたければ婚外でも産める社会の方が、やはり女性にはのぞましいだろう。とはいえ、離婚の自由や婚外子出産の自由を行使した女性が、結果として貧困に陥るのは避けられない。それは家父長制の外で子どもを産んだ女性に対する、ペナルティとして作用している。」
これはかなり納得し、自分の考えがあまかったと認識させられた箇所だった。結局自分は結婚という制度の明の部分しかみていなかったんだなあと思った。日本の様々な文化構造を根本から考え、結婚というものをどういう形にしていくのかを考える必要があるよな、と藤岡陽子さんの小説なども思い出しながら考えた。
p.97
「養育費の支払い義務も、公的援助も、シングルマザーが再婚すればうち切られる。この規則の前提となっているのは、女は所属する男によって養われるべきだという通念であり、したがって所属する男が変われば、もとの男は扶養義務を免じられるのである。シングルマザーの詮索は、別れた妻がもとの夫に貞節を尽くす限りにおいて、その子の養育に責任を持つ、というあざといまでの家父長制イデオロギーのあらわれである。」
これもその通りだと思う。別れようが、相手が再婚しようが、本当は自分の子どもはずっと自分のこどもであり、扶養義務があるはずだ。こうしたこともあまり意識したことがなかった。
p.159
「伝統には地域や階層において多様性があり、歴史はその文脈が変わるたびに、多様な文化のマトリックスのなかから、時代に適合的な文化項目を、「伝統」として再定義するという営みをつづけてきたと考えるべきであろう。したがって「伝統」として生きつづけてきたものは、時代に応じて変化を経験してきている。「時代を超えた伝統」などというものは存在しない。」
日本は「伝統」という言葉が好きな社会だが、結局自分の権益を守るための言葉でしかないのだ。
p.174
「明治国家が天皇制の代理機関として「発明」した「家」はむしろ国家主義の一要素であった。」
だからこそ、権力者が是が非でも守ろうとしている、日本的差別の根源とも言える、「天皇制」も「戸籍」は、批判的に考えられてこなかったのであろうし、批判的に考えられることを抑圧されてきたのだろう。
p.232
「労働時間の短縮に関する調査の中で、性・年齢・職業別のあらゆるグループの中で、無業の主婦層は夫の時短をもっとも歓迎しない層でもある。」
これは読んでて笑えた。何で結婚したんだろうと思うし、家父長制的な力が様々なところにひずみを作ってしまっているんだろうなあ、と思う。
p.280
「夫婦とも有職者のケースでは、外食はもはや多忙な週日のための時間節約型の日常行動の一つにすぎなくなり、そのかわり週末家族そろって食べる手づくりの料理がハレの食事と化しつつある。「家族が全員そろう」ことが特別の意味を帯びてきた。」
これは悲しいがかなり現実を言い当てたものなのだろう。
この本も刺激的で学ぶことが多かった。
2022-10-27 15:07
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