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発情装置 [学術書]


発情装置 新版 (岩波現代文庫)

発情装置 新版 (岩波現代文庫)

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/11/28
  • メディア: 文庫



「性的に興奮する」という状態はどうやったら起こるのか、この世にアダルト作品のようなものが存在しなかったら、友人に色々と話を聞くことがなかったら、相手と肉体関係を持ちたいというような気持ちは生まれてくるのか、高校生だか大学生くらいからずっと考えてきた。

ただ、アダルト作品のようなものがなかった時代から人間は性行為を行ってきたし、本能的なものなのだからある程度は、自然と沸き起こってきて、自然と完結するものなのだろうと、何となく思ってきた。

しかしこうした私の疑問を、この本は解決してくれた。
あらすじにあるように、
「ヒトはなぜ欲情するのか? 本能や自然ではなく、そうさせる「文化装置」ゆえ」
私のうっすら感じた通りのことが、かなりわかりやすく・丁寧に説明されていた。

そして援助交際や売春なども、自分が感じてきた何となくある違和感を結構すっきり解決してくれた。大学生時代にこの本を読んでいたら、大学生時代に、もう少し人生変わっていたかもと思う本だった。

p.85
「この世の中は男の性欲にはおそろしく寛大で、男の性欲に寛大な女が受け入れられるのだ。」

かつて普通に見られた電車の中の、週刊誌のつり革広告や様々な性的事件に対する判決、政治家や有名人の女性蔑視的な発言に対する言動を見ていると本当にそうだなあ、と思う。


pp. 166~167
「しかし、いつまでもこのふしぜんあ「禁止」がつづくわけはないだろう。ふつうの少年と少女が、ふつうにセックスをする時代がすぐそこまできているのだ。彼らを「身体の成熟と心の発達のアンバランス」の状態においておくことで大人の被害者にするよりも、現実を認めて、彼らにまともなセックスや避妊の知識を教えてやること、そして、シングル・マザーに対する社会的差別をなくすこと、セックスをふくめた子どもの人権を認めること、などが求められているのである。」

至極真っ当で、私が日頃モヤっと思っていることをはっきりとこどばにしてもらった感じがする。


p.173
「恋愛病は近代人の病だ。娘も妻も「恋愛したい」と渇くように思い始めた時、彼らはやっと「個人」になったのだ。男も「愛されたい」とグラグラした思いを持ち始めた時、やっと男という役割を脱ぎ捨ててタダの「個人」になったのだ。ここから「愛されても、愛されなくても、私は私」への距離は、どのくらい遠いだろうか。そして自立した「個人」を求めたフェミニズムは、女を「恋愛」の方へ解き放つのだろうか。それとも「恋愛」から解き放つのだろうか?」

完全に、「恋愛」の方へ解き放ち、日本の「家父長制」に取り込まれてしまっている感がある・・・。
「愛されても、愛されなくても、私は私」というところへ行くのは、雑誌や様々なメディアを概観する限り、限りなく先の話のような気がする。


p.195
「これは、ルネ・ジラールの言う「欲望の三角系」に似ている。市民社会では「第三者の欲望」が対象のねうちを認めてくれるのでなければ、対象に価値が発生しないのだ。「どこがいいの?」「みんながいいと言うから」とおいうメカニズムである。こうして、美貌の価値は、ますます一般性の高いものーつまり集団が一致して認めるものになる。だから、定義上、美には個性なんて存在しないのである。」

「いいね」「インスタ映え」などSNS時代となりますますこの傾向は進んでいる気がする。

長年違和感があったものを、かなりスッキリ整理してくれる本であった。

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