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エウテュプロン [哲学 プラトン]


プラトン全集〈1〉エウテュプロン ソクラテスの弁明 クリトン パイドン

プラトン全集〈1〉エウテュプロン ソクラテスの弁明 クリトン パイドン

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/01/25
  • メディア: 単行本



ソクラテスが、メレトスを中心とした人々に「若者たちを誤った方向へ導いた、不敬である」として公訴され、役所へ向かう途中で、エウテュプロンなる人物と出会い短い対話をする。

エウテュプロンは、自分の父親を殺人罪で訴えようとしている。父の使用人の一人がほかの使用人を殺してしまったので、父はそのものを縛り上げ、どのように扱えば良いか、聖法解釈者に訪ねさせているあいだに、縛り上げられているものが死んでしまった。そこでエウテュプロンは父親を殺人の罪で訴えようとしている。これに対してソクラテスは異を唱え、「敬虔」とは何なのか、という対話を始める。

訴える理由を述べるエウテュプロンの言葉に、私はどうしても共感してしまう。

p.14
「敬虔とは、私が現在行っているまさにそのこと、すなわち、問題が殺人であれ、聖物窃取であれ、~中略~罪を犯し、不正を働く者を、それがたまたま父親であろうと母親であろうと、あるいは他の誰であろうとも、訴え出ることであり、これを訴えでないことが不経験なのです。」

これに対して、ソクラテスは、父親がなした程度のことで、父親を訴えることは、敬虔な行為ではない、ということを色々な方法で説得しようとする。

私はプラトンのソクラテスを主人公とした対話篇が大好きで、その思想に共感し、多大なる影響を受け、自分の行動に活かしているつもりだ。しかしここでのソクラテスの議論はどうしても納得いかない。この作品が、あまり一般的でないのもわかる気がする。
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