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ハンナ・アーレント [映画]


ハンナ・アーレント [DVD]

ハンナ・アーレント [DVD]

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • メディア: DVD



昨年秋、日本でも大ヒットした映画「ハンナ・アーレント」を仕事の関係で観た。
私は卒論でハンナ・アーレントの『全体主義の起源』を用い、かなり綿密に読んで以来、アーレントはずっと気になる存在で、その後も『アウグスティヌス愛の概念』(これはむずかしくよくわからない)、『イエルサレムのアイヒマン』『革命について』『人間とは何か』『暗い時代の人々』『過去と未来の間』などなど、社会人になってからも結構読んできた。

彼女の作品は論理がわかりづらく(私にとっては)、彼女が何を主張したいのかその本質を掴むのが難しい。文章を読み進める際、常に考えながら読まなければならないし、読後も考え続けなければならないし、ずっと心のどこかに引っ掛かって、思考することを要求してくる。

彼女の作品を何冊か読み考えることによって気づいたことは、アーレントは「考える素材」を我々に提供するだけで、最終的には読者自身が結論を出すことを求めているのだ、ということだ。

だから自分の属する共同体であろうが、対立する(と一般的にはみなされている)共同体であろうが、冷静に分析し、(一般的な意味で)良い面であろうが悪い面であろうが、事実として提示している。

これは素晴らしい姿勢だと私はおもう。自分の属する団体の中で問題点などを指摘すると、拒否感や嫌悪感を顕にする者が数多い。しかしそれでは共同体はよくならない。常に批判的に自分を見つめ変革していかないものは必ず腐敗する。それがわからない組織・個人があまりにも多すぎる。

映画『ハンナ・アーレント』はアイヒマン裁判にスポットを当てることで上記のようなことを伝えている作品だ。私が思っていたとおりの「ハンナ・アーレント」が映画の中で描かれていて、自分のアーレント解釈が自分勝手なものではなかったことに安堵の気持ちを持つとともに、自分の今までの価値観を揺さぶってくれるものがなかったことに若干残念な気持ちもあった。

ソクラテス、プラトン以来、「考える」ということが人間の重要な要素として尊重されてきた西洋社会。そんな社会の中でアイヒマンは自ら「思考」することを放棄し「ただ命令に従った」。「思考」しない人間は人間ではない。これは確かに西洋的な伝統なのだろうが、万国に共通のことだと私は思う。「思考」とはただぼんやり考えることではない。より善き社会をイメージし、それを現在ある社会に照らし合わせ、何が問題かを様々な角度から自分で考えることこそ「思考」と言える。テレビなどが垂れ流す権力者に擦り寄るような考えをそのまま鵜呑みにし人々にさらに撒き散らす過程で考えていることなど「思考」とは言えない。

この映画は日本ではかなり大ヒットしたらしい。新聞やネットなどではヒットの理由を様々に論じていた。その多くは「混迷するこの日本において、人々は思考することを求めているのではないか」というものが多かった。私にはまったくそうは思えず、ただヒットしているから見てみようという程度のものだとは思う。

しかし多くの人がこの映画を観たのであれば、その観た人たちだけでも「思考」し「行動」してくれることを切に祈る。

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