エミール 上 [哲学 ルソー]
『エミール』上巻を読み終わった。この本は大学2年生の頃読んだ。うちにあった岩波文庫で読んだのだが、段落分けもあまりされておらず、ひたすら文章が続き非常に読みづらい本だと感じた。2007年に改版されたようで、非常に読みやすくなっていた。
感想としては「素晴らしい」の一言である。250年近く前の本なので、現代と全くそぐわない部分や、若干差別的な部分がなくはないが、本書を貫く精神は現代にも当てはまる。
p38「生きること、それが私の生徒に教えたいと思っている職業だ。」
p240「いそいで獲得しようとしないものはきわめて確実に、そして速やかに獲得される」
p486「わたしの目的は、彼に学問をあたえることではなく、必要に応じてそれを獲得することを教え、学問の価値を正確に評価させ、そして何よりも真実を愛させることにある。」
など挙げればきりがない。最近の日本の教育は、知識をたくさん持っていること、資格をたくさん持っていること、早い段階から速く学ぶことが尊重されている。それはメディアなどを通してな~んにも考えていないくせに偉そうに教育問題に物申すアホな政治家、アホな大衆、アホな親たちの心の中に染み込み、それが教育言説となって日本中を取り巻いている。
しかし、彼らは教育、子供の成長など、まともに考えたことなどないのだ。そしてこうしたアホな連中にちかいアホな人間が教員になることによってこうした言説に惑わされた教育が行われる。
我々は「学び方」さえ知っていれば「学ぶこと」はいつでも出来る。全てを知ることなど不可能なのだ。何かを学びたいと思ったときに学べる力をつけてあげることこそが教育の役割のはずである。それなのになるべくたくさんの知識を植え付けることに汲汲としている教員がどれほどこの日本にいることか。
『エミール』は教育学の名著とされている。しかし、どれだけの教員がこの本を読んでいるのか。法律や経済、あらゆる分野で名著とされている本は多い。『国家』『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『資本論』。おそらく欧米の大学生はこうした古典の名著をしっかり読み、議論をし、賛成・反対は別として彼らの精神の中に宿して社会に出ていく。高等教育とはそもそもこうしたことを学ぶ場であり、就職予備校ではないのだ。しかし、日本の大学ではまともに本を読ませ、議論をし、認識を深めさせるということがほとんど行われていない。こうした過程を経ずに社会に多くの人間が出て行くから、身勝手で考えの浅いトップが日本では多く生まれるのではないだろうか。
『エミール』を読みながらふとこんなことを考えてしまった。
2015-12-18 07:04
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