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第8挿話 [文学 アイルランド Ulysses]


Ulysses (Wordsworth Classics)

Ulysses (Wordsworth Classics)

  • 出版社/メーカー: Wordsworth Editions
  • 発売日: 2013/11/01
  • メディア: Kindle版



第二部
第8挿話
私が英文から読み取った、起こっているであろう出来事
〇川沿い?を歩きながら色々考えている。妻MollyやMillyなどとの楽しかった昔のことを思い出す場面が多い。おして生後すぐ死んでしまったRudyを思い出し、生きていればなどと考える場面も多い。
〇Mrs. Breenに出会う。家族のことや、難産で3日間も苦しんでいるMrs. Purefoyのことなどを話す。
〇ふたたび歩き出し、Davy Byrneのお店に入りサンドウィッチを食べながらワインを飲む。
ここでNosey Flynnなる人物に会い会話をする。
〇食事を終え、外に出て図書館に向かう途中、盲目の人が道で困っているのを助ける。

Ulyssesはホメロスの『オデュッセイア』と対応しているらしいが、もしかしたら『オデュッセイア』の同じ章の中に、オデュッセウスが一人、妻ペネロペイアや一人息子テレマコスとの楽しかった日々を思い出す場面などがあるのかもしれない(かつて読んだが細かい章で何があったかまでは覚えていない)。

以下、面白かった表現・箇所。

p.133
Blood of the Lamb.
His slow feet walked him riverward, reading. Are you saved? All are washed in the blood of the lamb. God wants blood victim. Birth, hymen, martyr, war, foundation of a building, sacrifice, kidney, burntoffering, druid’s altars.
何故Bloomが子羊の血が頭によぎったのかは、私の拙い英語力では分からないが、そこから「神は血の犠牲を求めている」という考えにいたるところが面白い。この前も上げたが、His slow feetを主語にして「彼はゆっくり川の方へ進んだ」という表現も興味深い。そして神が望む「blood victim」の例として、出産(?)(血を伴うということか?)、処女膜(命が誕生するためには処女膜から血が出なければならないということか?)、殉教者、戦争、ビルの建設(これはよくわからないが、建設作業中に多くの人がかつては亡くなっていたのか?)、犠牲、kidney burntoffering(わからない)、ドルイド教の祭壇(?)などが出てくる。
正直、後半はよくわからないが、我々がこの世に生まれてくるさい、そしてこの世で生きていく上で、数多くの血が流れていることが示されているんだと思う。いままでそんなことを考えたこともなかったので、結構新鮮な箇所だった。

p.139
How is Molly(Bloomの妻) those times? Haven’t seen her for ages.
In the pink, Mr. Bloom said gaily,
「モリーにしばらくあってないけど、最近どう?」
というような内容なのだろうが、those timesという表現に目がいった。何でtheseじゃないのか。よくわからない。
そしてBloomの返答。「In the pink」と陽気に言ったとある。辞書を調べると、「pinkは日本語では性やポルノへの連想が強いが、英語のpinkは赤ん坊の肌を連想させ、健康・若さ・活力・純真・新鮮さを象徴する」らしい。しかし、Bloomは妻Mollyの不倫を疑っている。そう考えると、このpinkという表現を何故JoyceがBloomに言わせたのか。色々と考えてしまう。

p.146
His smile faded as he walked, a heavy cloud hiding the sun slowly~
ここも面白い。天候に左右され彼の感情も変わる。このあとふたたび、Bloomは死んだDignamや、難産で苦しむPurefoyのこと、生まれるものもいれば死ぬものもいる、そしてまた子羊の血のイメージが彼を襲う。この小説常に暗いイメージがつきまとっている。

p.162
盲目の人を助けたあと、彼が考えたことが書かれているページ。
*Why we think a deformed person or a hunchback clever if he says something we might say. 「何故我々が普通に言うことを健常者ではない人が言うとそれを賢い発言と我々はいうのだろうか」
という意味なのだと思う。Bloomの疑問は最もだと思う。健常者から見た感覚、人間から見た感覚、Majorityから見た感覚が全て正しいとは限らない、いや間違っていることが多いはずだ。James Joyceというひとは本当に繊細な心をもっていたんだろうなあ、と色々な箇所から分かる。

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