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合本 三太郎の日記 [哲学書]


新版 合本 三太郎の日記 (角川選書)

新版 合本 三太郎の日記 (角川選書)

  • 作者: 阿部 次郎
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
  • 発売日: 2008/11/10
  • メディア: 単行本



大学時代、「大正教養主義」ということに関して調べることがあり、その時この阿部次郎作『三太郎の日記』という本を知った。当時の大学生の必読書と言われた本書。どんな本なのだろうとずっと興味があった。が、私が大学生だった頃はもう世に出回っていなかった。あるとき、どこかのペンションのようなところに泊まったとき、この本を見つけた。かなり古い本で手に取って読んでみたがさっぱりわからなかった。その時以来この本を目にしていなかった。

が、2008年11月10日 角川選書なるものが創刊され、その第1号としてこの本が復刊されたのだ。当然即座に購入。そして読み始めるも・・・。
この『三太郎の日記』という本は、第一、第二、第三と全部で3つの部分からなっており、何とか第二まで読み終わっていたのだが、途中でやはり挫折。
今年の夏休み、第一から再び挑戦。そして遂に遂に遂に完読。

阿部次郎は自分と重なる部分が多い人だなあと感じながら読んだ。この人はプラトン思想にかなりの影響を受けているのがよくわかる。さらにおそらくクリスチャンなのであろうこともわかる。聖フランチェスコなどのことについても事細かに書いていた。さらに「性道徳」の問題にもかなり興味があったらしく、スタンダールやドンジュアンなども度々言及されていた。そしてニーチェ思想にもかなり惹かれていたらしいことがわかる。平和主義者であり、非常に人道的でもある。

結局この人が言いたいのは、自分の頭で体で深く物事を考えろ、ということなのだろう。

以下印象的な箇所を紹介したい。

p67
「自覚することと自覚を発表することとは本来別物である。~中略~単に自覚の自信のみを発表して自覚の内容を発表せぬものが、世間の眼から見て偽預言者とせらるるはやむをえない。発表に値するものは自信にあらずして内容であるからである。」
⇒「自分は悟った」といっている仏教者で、人格者である人間を観たことがない。

p78
「理想主義の人にとって「ある事」は無意義にして、意義あるはただ「あるべき事」である。彼にとって事実とは「ある事」にあらずして、「あるべき事」である。」
⇒仏教者はよく「当たり前のことを当たり前にやる」ことが大切というが、そんなことは当たり前すぎて意味がない。その先にあることを目指さなければ人間として成長がないのではないだろうか。

p101
「生きるための職業は魂の生活と一致するものをえらびことを第一とする。しからざれば全然魂と関係ないことを選んで、職業の量を極小に制限することが賢い方法である。魂を弄び、魂を汚し、魂を売り、魂を堕落させる職業は最も恐ろしい。」
⇒仕事優先ではなく、自分の心を優先させて生きていたいと思う。

p144
「軽蔑に値するは小さいものが小さいものとして誠実に生きていくことにあらずして、小さいものが大きいものらしい身振りをすることである。ある真理とある価値とを体得しないものがその真理と価値を口舌の上で弄ぶことである。要するにpretensionとrealityとの矛盾に対する無恥である。」
⇒本当に自分を大きく見せる人間が多すぎる。ありのままの自分を見せればいいのになあと思ってしまう。

p150
「俺は偉くも強くもないが、俺の周囲にうごめく張三李四に比べて確かに一歩を進めている。~中略~俺はまた俺の周囲に、眼の前の喜怒哀楽に溺れて、永遠の問題に無頓着なる胡蝶のような「デカダン」を見た。そうしてこの逡巡と牛歩と不徹底とをもってするも、なお彼らに比べて俺の思想が確かに一歩を進めていることを思わずにはいられなかった。」
⇒ここなどはまさにプラトン思想とニーチェ思想の混交だろう。

他にもいろいろとあるのだが、少し疲れてきたのでこのへんでやめておきたい。
とにかく素晴らしい思想を持った名著である。確かに「若者のバイブル」という名にふさわしい。しかし、20~30代ぐらいで読まないと難しいかもしれない。

とにかく面白かった。そして完読できてよかった。
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