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エチカ 下 [哲学書]


エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (下) (岩波文庫)

  • 作者: スピノザ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1951/09/05
  • メディア: 文庫



スピノザ『エチカ』を読み終わった。
第四部は人間の感情の力について
第五部は知性の能力についてであった。

基本的には、人間は、理性によって感情を抑制でき、そのようなことが出来る人は、神に心をむけるひとである、というようなことがひたすら書かれている(と思う)。最後のほうは結構飽きてきてしまった。
理性によって感情が抑制できるという考え方は、後のカントの思想に影響を与えたのではないかと思う。

以下、少し長いが印象的な箇所を書いておきたい。

第四部
p.33
「理性は自然に反する何ごとをも要求せぬゆえ、したがって理性は、各人が自己自身を愛すること、自己の利益・自己の新の利益を求めること、また人間をより大なる完全性へ真に導くすべてのものを欲求することを要求する。」
p.34
「我々は自己の有を維持するのに我々の外部にある何者も必要としないというようなわけにはいかぬし、また我々は我々の外部にある物と何の交渉も持たないで生活するというようなわけにもいかない。~中略~我々の外部には、我々に有益なもの、そのゆえに我々の追及に値するものがたくさん存するわけである。そのうちで我々の本性と全く一致するものほど勝ちあるものは考えられることが出来ない。~中略~このゆえに、人間にとって人間ほど有益なものはない。~中略~すべての人間がともどもにすべての人間に共通な利益を求めること、そうしたこと以上に価値ある何ごとも望みえないのである。
 この結論として、理性に支配される人間、言い換えれば理性の導きに従って自己の利益を求める人間は、他の人々のためにも欲しないようないかなることも自分のために欲求することがなく、したがって彼らは公平で誠実で端正な人間であるということになる。」

第五章
p.126
「人間はその本性上他の人々が己の意向通りに生活することを欲求(衝動)するものであるが、この衝動は、理性によって導かれない人間にあっては、受動であって、この受動は名誉欲と呼ばれ、高慢とあまり違わないのであり、これに反して理性の指図によって生活する人間にあってはそれは能動ないし徳であって、これは道義心と呼ばれる。」
p166
「無知者は、外部の諸原因からさまざまな仕方で揺り動かされて決して精神の真の満足を享有しないばかりでなく、その上自己・神および物をほとんど意識せずに生活し、そして彼は働きを受けることをやめるや否や同時にまた存在することをもやめる。これに反して賢者は、賢者として見られる限り、ほとんど心を乱されることがなく、自己・神および物をある永遠の必然性によって意識し、決して存在することをやめず、常に精神の真の満足を享有している。」
p167
「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である。」

これらは理性によって自分をコントロールすることの大切さ、そして自分に心を向け自分自身を抑制すればするほど、他人に対しても心を向けることが出来るようになり、それは必然的に神に心を向けることになる。が、こんなことを出来る人間は数少ない、ということであろう。

ソクラテス⇒プラトン⇒イエス・キリスト⇒マルクス・アウレリウス⇒スピノザ⇒カントという西洋の倫理哲学の根底に流れる美しい思想が見て取れる。
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