SSブログ

告白Ⅰ [哲学書]


告白 I (中公文庫)

告白 I (中公文庫)

  • 作者: アウグスティヌス
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/03/20
  • メディア: 文庫



『告白Ⅰ』を読み終わった。Ⅰ巻は、キリスト教の信仰告白をする前までの、奔放に過ごした若い時期を回顧した文章。確かに、キリスト教の大教父と後に呼ばれる人間からすれば、むちゃくちゃな青少年時代だったのかもしれないが、おそらく一般的にはかなり普通であり、どちらかといえばしっかりとした生活を送っていたのではないかと思われる。

知的好奇心にあふれ、世間を少し斜めに見ながらも、行われていることに対してしっかりと目をむけ、同世代の友人達と羽目をはずしたいたずらをし、異性に興味を持ち、性的欲望に悩み、などなど、本当に普通の子どもであり、こうした普通の青春時代を過ごしたからこそ後々大教父になれたのだとおもう。

私は以前ダ◎イ・ラマ●世の講演を聴いたことがあり、彼は少年時代から「怒り」の感情を持ったことがないと言っていたが、そんな人間がこの世にいること自体に疑問を感じるし、もし本当だとしても「怒り」を感じたことのない人間など私は信じられない。

やはり色々なことを経験し、色々な感情を持ち、様々なことを乗り越えてきた人間ほど、懐の深い信頼できる人間になれる。そうした意味で、本当に素晴らしい、教父だったんだろうなあ、と想像できる。

以下、心に残った箇所を数点。

p.59
「主よ、わが神よ、見たまえ。いつものように、忍耐をもってみそなわしたまえ。人の子らは、先に語った人々から受け継いだ文字や音節の規則の遵守には実に細心でありながら、久遠の救いのためにあなたからうけた永遠の契約のほうは、何とおろそかにすることか。」
律法や形式を重んじ、その精神・内容を疎かにする人々に対して発せられた言葉なのであろう。2000年前から人はまったく変わっていない。

p.212
「真理の神なる主よ、これらのこと(様々な科学的知識)を知っている者はだれでも、それだけでもう、あなたのお気にめすのでしょうか。まことに、これらのことをすべて知りながら、あなたを知らない人があるならば、その人は不幸です。これに反し、あなたを知る人は、たとえこれらのことを知らなくてとも、幸福です。また、あなたを知り、これらのことをも知っている人があるとしても、その人はこれらのことを知るがゆえにより幸福であるわけではなく、ただあなたを知るがゆえに幸福なのです。」

最近、グローバル化が叫ばれて久しい。グローバル人材・世界で活躍できる人材を求める声は大きい。しかしグローバルに活躍できる人間は人間として優れているのだろうか。それだけで偉いのだろうか。別にグローバルな舞台で活躍しなくても、自分のやるべきことを日々行い、幸福に暮らしている人はたくさんいる。この文章を読み、昨今の日本の教育の進むべき方向が間違っていることをあらためて認識した。教育とは人々が幸せに暮らせるようになるために行われるべきものであり、特に義務教育ではその部分が重要なはずだ。しかし最近の流れは人々に挫折感を多く味わわせるものなのではないだろうか。

松崎一平という人が書いた「『告白』山田晶訳をもつということ」という文章から。
山田晶が、古典作品の理想的な読み方を語った部分。
p.322
「西欧において、古典の研究が高い水準を維持しているのは、彼らの国語が古典語に連続するからではない。~中略~それは、古典の一字一句をゆるがせにせず、それを解読する人が、なお西欧に存在するからに他ならない。古典の一字一句を、簡単に分かったとせずに、丹念に辞書を引き、文法を調べ、正確に分析し、このようにして解読の仕事を忍耐強くおしすすめ、その仕事の過程にひらめきあらわれる古典の意味の照明に、至高の悦楽を味わうような人がまだ存在するからにほかならない。要するに、古典の含む意味を自分のものに主体化するために、これを思いきり客体化して考察できる批判的精神の持ち主が、西欧にまだ存在するからにほかならない。」

日本人はおそらく古典の含む意味を自分のものに主体化することなく、客体化して考察する、批判的精神の持ち主ばかりなのだろう。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。