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ブリキの太鼓 第二部 [文学 ドイツ]


ブリキの太鼓 2 (集英社文庫 ク 2-3)

ブリキの太鼓 2 (集英社文庫 ク 2-3)

  • 作者: ギュンター・グラス
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1978/09/01
  • メディア: 文庫



『ブリキの太鼓』第二部を読み終わった。
青年期(身体の大きさは三歳のままだが・・・)、ちょうどナチスが台頭し没落するまでの時期を描いた作品。
ナチスの兵営で、前線慰問劇団として活動したり、ギャング達と街を破壊したり、ポーランド兵に襲撃された際、肉親を裏切ったりと、とにかくノンポリとしてむちゃくちゃな生活をしながら困難な時期をたくみに生き抜いていくオスカルの姿を描いている。

私は常々、人間は信念を持って生きなければならないと考えている。しかし信念を持って生きることは辛い。非常に困難なこと、理不尽なこと、悲しいことに出会うことが多い。しかし、それは大人だからこその苦難なのかもしれない。
私は子供時代「信念」などという観念を心に抱いたこともないし、そんなものに従って行動したことも無い。その時そのときの自分が「よい」と思ったことに従っていきていた。子どもだから許されたのだと思う。

まさに、この小説はその部分をうまく描いている。おそらく、ナチス時代、本当の意味で信念の元生きた人間は少ないのだろう。信念を持たずにただ流された幾多の人間達はそのことによって罰せられた。しかしそれは「大人=信念を持っているはずの人間」という図式があるからであろう。精神的には大人だが、身体は子どものオスカルは、戦中の混乱をうまく乗り越えていく。しかし精神的に大人である彼にはそれなりに心の葛藤があるはずである。それを乗り越える手段として、おそらくブリキの太鼓があるのであろう。

彼は色々なところに行くのであるが、そのたびごとに自分で作成したある書物を持っていく。それは、「ラスプーチン」と「ゲーテ」の作品をあわせたものだ。ラスプーチン=本能のままに生きる人間、ゲーテ=理性で自分を律する人間の象徴なのだと思う。人間にはかならずこの2面性がある。しかし大人になるとゲーテ的な側面を要求される。ラスプーチン的なものは隠さざるを得なくなる。しかし身体が子どものオスカルはこのバランスをうまくとって生きることが出来るのだ。

この本はずっと、主人公オスカルが、自分の過去を主観的かつ客観的に論じるというスタイルで描かれてきた。しかしこの巻の最後で、オスカルの看護士ブルーノーが、オスカルから聞いた話を叙述する場面がある。その中で、オスカルの話は一貫性がないところがある、と書いている。つまりオスカルがどんなに自分のことを客観的に論じたところで、それはあくまで主観的に描いているにすぎない、つまりここまで読んできた話もうさんくさいのではないか、と読者に思わせる仕掛けがなされているのだ。

そんなに面白いストーリーではない。が、さまざまなことを考えさせられる小説であることは間違いない。最後第三巻。頑張って読みきりたい。
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