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Anti-Intellectualism in American Life Part3 The Politics of Democracy [学術書]


Anti-Intellectualism in American Life

Anti-Intellectualism in American Life

  • 作者: Richard Hofstadter
  • 出版社/メーカー: Vintage
  • 発売日: 1966/02/12
  • メディア: ペーパーバック



Part3を読み終わった。
タイトルにあるように、この章は政治の分野におけるAnti-Intellectualismの歴史を述べている。

始めは国の形を作るうえで、トマス・ジェファソンのようなヨーロッパ的な教養のある知的な人間達が政治の分野にも求められたが、国が安定していくにつれそうした知的な人間達は、頭だけで肉体感覚がない、実際の政治では通用しないと批判の矢面に立たされるようになる。

そうした状況はしばらく続くが、ハーバード大学出身の知的な大統領は、海軍次官として米西戦争を戦ったこと、大学でスポーツをやっていたこと、マッチョであったことなどから、反知性主義陣営からも攻撃されず、受け入れられた。

が、結局これはセオドア・ルーズベルトの個性によるものであり、その後も政治界における反知性主義は続く。

1930年代の大恐慌時代ニューディール政策を行っていくうえで、ブレインとして知的な人間が必要とされたが、それも一時のものであった。

結局、アメリカの政治においては、知的な人間は基本的に実地経験のない使えない人間として排除され続けた。大統領も同じような視点で選ばれ続けたと論じている。

しかしこれはアメリカだけにあてはまる状況ではないだろう。多くのコミュニティーは多かれ少なかれ、リーダーに先頭に立って自分達を率いてくれるものたちを求める。あたまでっかちな人間よりもマッチョな人間を求める。そしてそのマッチョな人間を支える参謀として知的な人間をそろえるのではないだろうか。この本を読むと、その参謀の地位からも知的な人間達が排除されていたような印象を受けなくはないが、実際様々なことを運営していく上で、ある程度知的な人間達がマッチョな大統領を支えてきたであろうことは間違いないと思う。

プラトンも哲人政治、つまり知的な人間がトップに立つことを求めた。しかし、プラトンも述べているように、そもそもが知的な全体を見通せるような人間は進んでトップに立とうとしない。マッチョイズムを持たない、優しい人間達はわざわざ表舞台に上がろうと思わない。このあたりに難しさがある。

世界では多くの女性リーダーが現れている。世界のさまざまな場面でマッチョイズムは抹消されつつある。これからもっともっと、リーダにマッチョさを求めず、知的な人間達が、様々なことに心を配り世界を作っていくことが、このはかない地球を支えていくためには必要なのではないだろうか。
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