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詩という仕事について [文学 その他]


詩という仕事について (岩波文庫)

詩という仕事について (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/06/17
  • メディア: 文庫



ボルヘス5冊目『詩という仕事について』を読み終わった。
こちらも『七つの夜』同様講演集で、ハーヴァード大学で行った講演集らしい。この人はやはり、物語を創りだすというよりは、論じることに長けた人なんだな、と感じる。

テリー・イーグルトンの『詩をどう読むか』という本を読んだとき(途中で挫折)にも感じたのだが、西洋人というのは日本人が一般的に言う、詩(韻文)と小説(散文)をあまり区別して使っていない。とくにボルヘスは、印刷された詩(韻文・散文)と語られる物語というものを区別して話しをしているような気がした。

1 詩という謎
 ボルヘスは色々な本の中で語っているが、やはりひとりの作者の、まさに「オリジナルな作品」というものはなく、世界は螺旋状に積み重なる一つの物語であり、一つの図書館のようなものであるというイメージを持っている気がする。そして文字化されたものは、間違った解釈・使われ方をする可能性がある、という点で危険な側面もあると書いているあたりは私の意見と一致する。

p15
「事実、人類の偉大な教師たちは書く人ではなくて、話す人でした。ピタゴラス、キリスト、ソクラテス、仏陀などなどを思い出してください。」
これは、私の大学時代のゼミの教授が同じようなことを言っていたので私の中に定着した考えではあるのですが・・・。

p30
「詩は、巧みに織りなされた言葉を媒体とする、美なるものの表現である」
これが、一応のボルヘスの詩の定義である。
物事を単純化することの危険性を知っているボルヘスならではの回りくどいわかりづらい論理展開であり、全体として何が言いたいのかイマイチわからないが、一つひとつの話はとても興味深い。

2.隠喩
 こちらは、詩で使われる隠喩は、源流をたどれば、いくつかのパターンに収斂する、というもの。色々な具体例が挙げられるが、そんなに興味深いないようではない。私自身あまり比喩表現に興味がないからかもしれないが・・・。

3.物語
 古今東西の色々な物語を例に、物語のすばらしさを語ったもの。
p.78
「私の考えでは、小説は完全に袋小路に入っています。小説に関連した、きわめて大胆かつ興味深い実験のすべてのー例えば、時間軸の移動というアイデアや、異なる人物たちによる語りというアイデアのー行き着くところは、小説はもはや存在しないとわれわれがかんじるような時代でしょう」

私は彼の説に同調する。私の知っている国語の先生の多くがそうなのだが、小説を論じようとする人は、何か小難しいテーマであったり、新しい切り口の文体であったり、といったことを素晴らしい小説の一要素として挙げたがるのだが、やはり私は「物語」として面白いか、が「その小説が面白いか」の評価の大部分を占めると思うのだ。この章は非常に面白かった。

4.言葉の調べと翻訳
 翻訳は、逐語訳、意訳どちらであるべきか、というテーマで様々な例を挙げながら語ったもの。
逐語訳の始まり=神学と見る見方は非常に新鮮で面白かった。

p.102
「聖書を翻訳するとなると、事情はまったく違います。聖書は、精霊によって書かれたと考えられたからです。仮にわれわれが精霊のことを考えるならば、文学的な仕事にいそしむ神の無限の知性を考えるならば、その作品に何らかの偶然的な要素の存在を考えることは許されません。」
基本的に、訳す人間の主観的解釈を入れる、つまり意訳、をしてはいけないということなのだと思う。

最終的にボルヘスの結論は、ほかの部分でも書いたが、ある作者のオリジナルというものはなく、同じ言語書かれた本ですら、同じことを語っていたりするもので、時や場所を超えて、作者に夢を通して物語が降りてくることなどもあるのだから、逆説的な意味で、翻訳されたものもオリジナルなのだ、ということなのだと思う。

5.思考と詩
p. 111
「あらゆる芸術は音楽の状態にあこがれる、と。理由は明らかです。それは、音楽においては形式と内容がわけられないということでしょう。」
様々な余分なものを介することなく、美というものを享受側に、純粋に伝えられるという意味なのだと思うのだが、まさにその通りだと思う。だからこそ、芸術鑑賞という意味でも、純粋音楽というのは楽しみづらいのだと思う。

この章は色々な文学作品が出てきて面白いのだが、結論はよくわからない。

6.詩人の信条
p163
「もしも私が、ワーズワスとヴェルレーヌは傑出した十九世紀の作家たちであるといったとしたら、彼らがある程度は時間による破壊を被ったこと、つまり、今では彼らもかつてほど優れた存在ではない、と考える危険に陥りかねないわけです。日時を考慮しなくても芸術の完成度を認識できるという、古い考え方の方が良いと私は思います。」
私も思います(笑)。とにかく、物語として楽しいものは楽しい。それがどんな時代に書かれたものであろうと、どんな場所で書かれたものであろうと。

結局我々は、何かに結論めいたものを求めるのだが、そもそもボルヘスはひとつのものに収斂させようとは思っていないのではないだろうか。様々なものが組み合わさって全体を構成する。ボルヘスの一つひとつの話がボルヘスの言いたいこと全体を何となく作り上げる。だからこそ彼の話は最終的にわかりづらく、まとめづらいのではないか。

この作品を読んで、何となくそんなふうに感じた。

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