ちょんまげ手まり歌 [文学 日本 児童書]
上野瞭という作家を、偕成社から出ている『ものがたり12ヶ月 冬ものがたり』という本の中で知った。そこには「ぼくらのラブコール」という短編が載っていた。「愛している」という言葉をお互い掛け合わないと警察に捕まってしまうという不条理劇のような作品だが、強烈な印象を渡しに残した。
この作品があまりにも素晴らしかったので、上野瞭という人に興味を持ち調べてみた。それなりに作品は書いているらしいがそのほとんどが現在市場に出回っていない。この『ちょんまげ手まり歌』も絶版で、中古市場にもほぼ出ていない。
そこで図書館で借りて読んだ。
物語は「やさしい藩」という4方を山に囲まれた小さな村。ここでは、6歳になると、「やさしいむすめ」「やさしいむすこ」と認定されたものは生きられるが、それ以外のものは殺されてお花畑に埋められる。そのお花畑で出来る「ユメミの実」を飲むと、勇ましく人を殺す夢を見ることができる。この村はこの「ユメミの実」を他国に売って、その利益で生活している。ほかに何も無い村なので、その利益で賄えるだけの人間しか生かしておけない。ということで6歳で選別されて殺される。
「やさしいむすめ」「やさしいむすこ」に認定されても、足の健を女性は両足、男性は片足切られてしまい、自由に歩けない。これは人々がやまんばのいる山に入れないようにするためだ。
しかし、この異常な状況に気づいた人は、おへその上あたりがキリキリ痛むようになる。こうした人も、ヘソクイ虫にやられてヘソクイヤマイにかかってしまったと言われ、殺される。
全体主義国家を風刺したこの作品。非常に読みやすくしかも考えさせられる名著だ。
安房直子、松谷みよ子の作品はじめ、非常に優れた文学作品なのに、絶版になってしまった作品が多い。確かにこういった作品は、刺激に満ちたfunnyな楽しい作品に慣れた現代の子供たちには入っていきづらいのかもしれない。しかし、こうした優れた文学作品を読むことによって、優れた「批判的」考えを身に付け、素晴らしい「判断力」を手に入れ、素晴らしい「表現力」が持てるようになるのではないだろうか。
スマホなどの普及、デジタル化の進行によって、ますます深く考えることがなくなっていくこの世の中。本当に大丈夫なのだろうか。こうした本を読んで、どういった世界に自分たちは住みたいのか、今一度考えるべきなのではないだろうか。
p.127
「お殿さまは、かしこいおかたじゃ。わしには、ようわかる。おさむらいさまがた。しかし、かしこいおかたは、いつでも、正しいおかたかどうか、それは、わからんもんでのう。わしはかしこくはないが、わかるのじゃ。」
賢い人たちが作った政策が必ずしも正しいものとは限らない。素直な美しい目で様々な事象を多くの人が見て欲しい。
p.158
「どうして、弥平は、考えようとするのか。どうして、じぶんの頭で考えようとするのか。考えることは、まようことである。考えようとすることは、わしの言うことを、うたがおうとすることである。わしは。みなのため、やさしい藩一国のため、どんなことでも、きめておるのだ。」
まさしく今の日本だ。子どもたちが深く考えず、ただただ速く情報処理ができるよう仕向ける、「大学入学共通テスト」を作成し、くだらない会話ばかりさせる語学教育を推進し、愚民を作ろうとしている現在の日本。非常に危ない状況だ。
p.241
「食わせられんとなれば、いくさにおくりだして、いちどに、うんと、ころしたりする。おみよ。お前の国じゃ、あれこれ、考えたり、もんくを言うもんを、ヘソクイヤマイじゃと言うて、うめてしまうだけのことじゃ」
まさに戦前から連綿と続く日本だ。
p.245
「お殿さまはのう、人の血をすすって、ほたほた、ほたほた、笑うてござるものなのじゃ。」
これもどこかの国の権力者だ。
p.251
「みんな、なにも知らんからこそ、それでしあわせじゃったーとも言えるんじゃぞ。おまえは、もう、べつの国を見てしもうた。じぶんの国のおそろしさを、知ってしもうた。知ってしまうことは、おみよ、人間を大きくそだてるが、それだけ、くるしみがふえることじゃぞ。」
現在の日本の教育は、くるしむを若者から減らそうとしてくれているのかもしれない。
p.263
「ええか、みなの衆。池之助とゆりのむすめ、おみよは、いま死んだ。しかしのう、おみよの見たものは、おみよが死んでも、死なんのじゃ」
真実は、正しいことは、善のイデアは永遠だ。
素晴らしい本だった。何故こういった本が絶版なのだろうか・・・・・・。
2022-08-11 13:12
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