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饗宴 [哲学 プラトン]


プラトン全集〈5〉 饗宴 パイドロス

プラトン全集〈5〉 饗宴 パイドロス

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/05/26
  • メディア: 単行本



久しぶりにプラトンの『饗宴』を読んだ。

かつて、「エロース」の神について、ソクラテスほか様々な人が酒を飲みながら賛美した言論を、後世の人が、語るという形態で叙述されたもの。

ソクラテスがエロースの神をたたえる前に、様々な人がエロースの神をたたえるのだが、その説が一つ一つ興味深い。

p.28
「つまり、他と無関係にそれだけでそのものとしてなされるときには、それ自信美しいものでも醜いものでもない、~中略~つまり、美しく正しくなされれば、美しい行為となり、正しくなされなければ、醜い行為となる。だから、恋をするということにしてもエロースにしても、それと同じことであって、全部が全部美しいわけでも賛美されるに値するわけでもなく、美しい恋をするようにしむけるエロースのみがそれに当たるのである。」

これはひどく同意する。世の中のカップルを見ていると、私は醜い姿を見ることがあまりにも多い。

p.33
「なお、よくない人とは、あの、低俗な恋を懐く者、つまり魂よりはむしろ肉体を恋する者のことである。そしてじつにそのような者は、その恋の対象が永続性のないものであるから、彼自身また永続性に欠けるのである。~中略~それに反して相手の人柄にーそれが立派な時のことであるがーその人柄に恋をする者は、永続的なものと融合するのであるから、一生を通じて変わらないのである。」

芸能人同士の結婚が破綻することが多いのもこのためであろう。

p.47
男ー男、女ー女、男ー女という組み合わせのそれぞれ球体があり、神の怒りに触れ、それぞれバラバラにされ、もとのパートナーを探すことになったのが、恋愛のはじまりとい説、

これは現在の性の多様性を先取りした説だと思う。

こうした色々な人が提唱する説はソクラテスによって批判されるのだが、さすがそれぞれが説得力があり、かなり今でも通用する説。

このあと、
p.82
「美しいものが自分のものになること」こそがエロースの真髄だということになり、ディオティマという女性の言葉を借りて、肉体に対する愛よりも、美しいもの真善美に対する愛というものは永遠であり、それこそがエロースの本質であることが語られる。さらにアルキビアデスというかつてのソクラテスの弟子であり、美少年である若者が、美少年愛があるギリシャ世界において、自分と夜二人きりになっても、決して肉体的に一体になるようなことはしなかったという。

現在、故ジャニー氏のジャニーズ帝国が問題になっているが、何千年も前から、このような本が書かれていることに驚きを禁じえない。

『ソクラテスの弁明』はじめプラトンが記した『饗宴』『国家』など、日本の権力の中枢にある人、ビジネス界の中枢にある人たちが読み、世の中をよりよいものにしようと考えてくれたら、日本はもっと良い社会になるのになあ、と思う。

久しぶりに読んだが現在の日本にも多くのことを教えてくれる、かなりの名著だ。
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