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悦ばしき知識 [哲学 ニーチェ]


ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: フリードリッヒ ニーチェ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1993/07
  • メディア: 文庫



ニーチェの『悦ばしき知識』を読み終わった。内容は『人間的、あまりに人間的』『曙光』と対して変わらない。第4章の最後には『ツァラトゥストラ』の最初の部分が出てきたりしている。正直、『人間的、あまりに人間的』を読めば、『曙光』『悦ばしき知識』を読む必要はないと思う。

この中から印象に残った節をいくつか。

p74
学問の目標について:快と不快が一本の綱でつながれていて、できるだけ多く一方のものを持とうと欲するものは、またできるだけ多く他方のものを持たざるを得ないとしたらどうか?
 ⇒たしかに、快が増えれば増えるほど、不快は減るものではなく、増していく。気づきそうで気づかない面白い視点だと思った。

p211
群蓄における良心の呵責:思想の自由ということは、不安そのもののようにおもわれた。我々が法や統制を束縛や損害と感ずるのに反し、昔の人々はエゴイズムを苦痛なこと、真の困厄と感じた。~中略~ひとびとが非自由な行動をとればとるほど、その行動からもの言うものが個人的な意向ならぬ群蓄的本能であればあるほど、それだけ自分が道徳的だとひとびとは考えた。
 ⇒結局、現在当たり前と思われていること(≒道徳)に対して全く批判的思考を向けず流されて生きることに対して、ニーチェは猛烈に批判の矢を向けているのだと思う。これはエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で描いていた構造と全く同じだ。よくニーチェはナチスの理論的バックグラウンドとなったなどと言われるが、正反対の思想的位置にあるのではないかと思うのだが。

p258
お笑いぐさだ!:彼は人間どもから逃走しているー、それなのに、彼が人間どもの先を走ってくるので、ひとびとはその後を追っかけてくる。ーそれほどにまで人間どもは群蓄なのだ。
 ⇒日本人のブランド好き、さむらごうち問題、STAP細胞に対する人々の手のひらを返したかのような反応とう、まさしく日本人は群蓄のかたまりだ。

p294
認識者の建築:われわれの大都市に特に欠けているものの何であるかを見抜く洞察が、~中略~必要となるだろう。~中略~それは、思索のための静かな、ひろびろした~中略~場処。
 ⇒大都市は24時間ひたすら我々に刺激を与え続けている。我々に考える時間を与えない。日本人の群蓄化現象は一層増すばかりだ。

何とか、何とか、多くの人間が自分で考え、自由に行動することに悦びを感じるようになってもらいたい。


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