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権力への意志 上 [哲学 ニーチェ]


ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: フリードリッヒ ニーチェ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1993/12
  • メディア: 文庫



ニーチェの『権力への意志 上』を読み終わった。相変わらず彼の意図がつかみづらく、しかもアフォリズム形式なので基本的には同じことをひたすら繰り返しているだけである。このへんの作品であれば、解説書で概要がつかめれば良いと、原文に当たる方が良いと常日頃思っている私でも考えてしまうくらい、長尺な感じだ。

大枠は
1.ヨーロッパのニヒリズム
2.キリスト教批判
3.哲学批判
となっており、副題としては「すべての価値の価値転換のこころみ」ということらしい。

キリスト教によって「生への意志」を剥ぎ取られてしまったヨーロッパはニヒリズム、デカダンス状態になってしまった。キリスト教的な道徳観を捨て、今までの西洋的哲学をやめ、真の意味での「権力への意志」を持つべきだ、ということなんだと思う。正直、どこまでをニーチェが批判しており、どこまでがニーチェの真の主張なのだか、頭の悪い私にはわからない。

そんななか印象的なフレーズを何点か紹介したい。

p.168
「キリスト教が否定したのは何か? ―今日キリスト教的とよばれているもののすべてである。」
p.175
「―教会こそ、イエスがそれに反対して説教し―またそれに対して戦うことをその使徒たちに教えたもの、まさにそのものである―。」
p.216
「キリスト教は最も私的な生存様式としては可能である。それは、狭い、引きこもった、完全に非政治的な社会を前提する、―それは使徒集会の一種である。」

この3つは私が現代のキリスト教に抱く違和感と近いものがある。

p.390
「ひとは、自己自身を自由に形成しつづけるために、この権力を利用することができる。すなわち、自己向上と強化としての権力への意志。」

結局、自己を常に高める努力を続けることこそ重要であり、多くの人間(一般大衆、畜群)には無理であり、努力しない人間を肯定するような、道徳、キリスト教は破棄されるべきだ、という主張なんだと思う。

もちろん違和感を、反感を覚える箇所は多々あるが、共感すべきところも多々あり、本質的な部分ではかなり私の普段思っている部分と一致する哲学者なのではないかと勝手に思っている。

私は全人類が考える主体(ニーチェの言う超人、畜群ではない人間)になることこそが世界平和へとつながると考えているのだが、やはり無理なことなのだろう。


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