Major Barbara [文学 アイルランド]
Shawの戯曲Major Barbaraを読み終わった。この作品も途中、Salvation Armyの団体の内部の状況に話が移るACTⅡは下層階級の人々の言葉ということで普通のスペルではないスペリングで書かれている単語が多く出てくるので意味がわからない部分が多かったが、そのほかの点では比較的読みやすい作品だった。
登場人物もほとんどが家族内だけなので人物を見失いづらいので良かった。
父:Undershaft
母:Lady Britomart
娘1:Sarah
Sarahの夫:Lomax
娘2:Barbara
Barbaraの夫:Cusins
息子:Stephen
ACTⅠ 場面は家で、Lady Britomartと息子Stephenが会話をするところから始まる。娘ふたりが結婚することになるのだが、旦那になるLomax、Cusinsには現時点ではまともに生活していけるだけの財産がない。そこで軍需産業に従事し資産家である元夫Undershaftにお金をもらうよう交渉したほうがいいかどうか母は息子に相談する。
結局夫を呼び出し、交渉することになる。
ACTⅡ 場面はSalvation Army. たくさんの困っている人が続々と登場する。Salvation Armyに属している娘のBarbaraは彼らの魂を救済しようとするが、なかなかうまくいかない。そこに父親のUndershaftが登場。資産家の友人Bodgerと大量のお金をSalvation Armyに寄付することを申し出る。軍需産業に従事するUndershaftとアルコール産業に従事するBodgerからお金を受け取るということに納得できない娘のBarbaraはSalvation Armyを去る。
ACTⅢ 家族が全員でUndershaftの工場を見に行く。そこには工場だけではなく教会から病院まで何もかも揃っている。Undershaftは息子たち(義理も含めて)に工場で働くことをすすめる。Lady BritomartとBarbara以外は結局お金が人々を救うことを認め工場で働くことを受け入れる。最後まで夫(になる予定)のCusinsと議論した結果Barbaraも受け入れ物語は終わる。
この話のテーマは、“資本 vs. 宗教”ということだと思う。Man&Supermanと同じくニーチェの思想から大きな影響を受けているであろうことは容易に見て取れる。綺麗事を並べたところで宗教は人間を救うことができない。なぜなら金がなければこの社会では生きていけないからだ。そして金がない人が傷を舐め合って資本家に対して嫉妬感情を抱いている状態(ルサンチマン)を作り出しているものこそキリスト教(宗教)だ、ということなのか。
さらにここでは学問に対する批判もなされている。Barbaraの夫cusinsはギリシャ語の研究者。しかしそれでは結局食っていけない。「人間を救うのは宗教でも高等な学問でもなく資本だ」ということだろう。
これはプラトン思想、キリスト教という西洋を形作ってきた精神性を根本から覆す思想だ。この二つを乗り越えて初めてManはSupermanになれるということか。
これは観る側に観ているあいだも、観たあとも多くを考えさせる作品であることは間違いない。人間を救うことができるのは金なのか宗教なのか。答えを出すのは難しい。しかし現実的に生きるためにはまずは金が必要になってくる。考えるためにも金は必要だ。そうすると・・・。思考はぐるぐる回り続ける。
この作品は結構上演される機会が多いらしい。観客を思考させるという点で、確かに上演するにふさわしい作品だと思う。
2015-12-18 10:00
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