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音楽社会学序説 [哲学書]


音楽社会学序説 (平凡社ライブラリー (292))

音楽社会学序説 (平凡社ライブラリー (292))

  • 作者: Th.W.アドルノ
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1999/06
  • メディア: 単行本



東京国際ブックフェアで買ったアドルノの『音楽社会学序説』を読んだ。思っていたほどはわからなくはなかったが、やはり読み進めるのに時間がかかったし、言わんとすることを十分に理解することはできなかった。
全体として何が言いたいのか、この本を読んだだけでは正直わからない。

第Ⅰ章で音楽聴衆を類型化する。
第1のタイプは、音楽を専門としている人で、音楽を分析的に聴くことができ、それを説明することができる。第2のタイプは、良き聴衆者であり、音楽全体のまとまりを自発的に理解し、評判だとか気ままな趣味に頼ることをしない。
第3のタイプは、教養消費者。
第4のタイプは、情緒的聴衆者。
自分は、第3と第4のタイプの間くらいな気がする・・・。そして、現代は第1、第2のタイプがほとんどいなくなってしまったことをアドルノは嘆いている(んだと思う・・・)。

第Ⅱ章は軽音楽。
軽と名付けられていることからもわかるが、俗に言うクラシック、アドルノが前提としているのはおそらくドイツ・オーストリア系の作曲家の音楽とは違う音楽。ジャズなどがその例として用いられている。
「大衆現象としての軽音楽が、自律の精神と独立の判断力を~中略~むしばんでいる」ということからもわかるが、大衆音楽は人間から批判的精神(弁証法的精神)を奪ってしまっているということを主張している(んだと思う・・・)。

以下、音楽の機能、オペラ、室内楽などの説明がなされる。
室内楽は、交響曲などと違い、個人の私的な領域と関連があるという主張は面白かった。大衆音楽の発達により、音楽は自ら演奏して楽しむものから聞いて楽しむものに変容してしまった。これは家庭音楽教育の衰退により引き起こされたものだ、というのもなるほどなあと思った。18~19世紀の貴族社会を描いた小説などを読むと、ほとんどの人は楽器も弾けるし歌えるのが当然とみなされていたのがよくわかる。しかし、市民社会の発展によってそうした文化は衰退していく。これとクラシック音楽が変容していったのは確かに重なる部分はあるのだろう。

アドルノは現代音楽作曲家、ベルクやシェーンベルクと個人的に付き合いがあったこともあるのだとは思うが、彼らのような現代音楽家を肯定的に見ている。
アドルノは音楽を通して人々が弁証法的に考えることが重要なのだと考えたのだと思う。つまり、現状を肯定してしまわず、批判的に捉え、より善いものを作り出していく姿勢が大切だということだ。これはどの社会にも当てはまる。そして芸術を鑑賞する意味、芸術に関わる意味もこうしたことにあるのだと思う。
私もエンターテインメントを前面に出したものを芸術と呼ぶことに抵抗がある。しかし、多くの大衆は、多くの人に受け入れられる、楽しい(fun)なものを一流の、本物の芸術ともてはやす。

前述のフロムもそうだが、フランクフルト学派に属していた人々は本当に世の中を良く分析していたのだなあと感心してしまう。

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