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オットーと呼ばれる日本人 [文学 日本 Classic]


オットーと呼ばれる日本人―他一篇 (岩波文庫―木下順二戯曲選)

オットーと呼ばれる日本人―他一篇 (岩波文庫―木下順二戯曲選)

  • 作者: 木下 順二
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/09/16
  • メディア: 文庫



ふとしたことから木下順二に興味を持った。
岩波文庫から彼の戯曲集が4冊出ているので買おうと思ったが、3冊が「品切れ重版未定」状態だった。なのでアマゾン中古でその3冊を手に入れた。アマゾンは色々な意味で本当にありがたい。

そしてまずこの『オットーと呼ばれる日本人』から読み始めた。

中身は
1、オットーと呼ばれる日本人
2、神と人のあいだ

だ。1はゾルゲ事件を扱った作品らしいが、そういった類の解説がないとソルげ事件とはわからない。名前も色々と変えてある。しかも話の内容から彼らが共産主義者であり、何らかのスパイ行為をしているのであろうということはわかるが、ほとんど何も明示されない。が、そうした曖昧模糊としたセリフの中に、一人ひとりの思いがこめられており、非常に緊張感を持った劇が展開される。
彼らの「活動」がそろそろ終わりをつげようとするその時、彼らはつかまってしまう。捕まってしまった後、主人公の「男」が検事に詰問される場面があるのだが、基本的に何も話しをしない。とても引き締まった感動的な戯曲だ。

2は2部構成。一部はA級戦犯の東京裁判を扱ったもの。二部はC級戦犯の裁判を扱ったもの。
裁判を扱った文学は本当に面白い。『ソロモンの偽証』でも書いたかもしれないが、感情を廃したやりとりをなるべく行おうとする一方でそこに必ず感情が入ってしまうその微妙な加減が非常に面白い。
さらに、今回の「東京裁判」における、検事側の主張も、弁護側の主張も非常に説得力がある。読みながら心が何度も揺れてしまった。

C級戦犯をあつかった第2部も色々と考えさせられた。拷問やスパイ容疑者にたいする殺害について扱った裁判なのだが、戦時における一般的な手続きをとっていたということで、命令を与えていた上官に落ち度はなく、実際に手を下した下士官たちのやり方が議論の対象になっていく。

確かに彼らは実際に手を下したかもしれない。
が、命令されたことをやらず、良心に従って行動した人々は、戦時中どうなったのであろうか。暴行を加えられ、運が悪ければ牢獄に入れられ、下手すれば殺されたかもしれない。そうしたことに対する責任はないのだろうか。
戦争責任というのは考えれば考えるほど難しい。しかし、この本にも何度か出てくるが「上官の命を承ること、実は直ちにチン(昭和天皇)が(の)命令を承る義なりと心得よ」という言葉がある。これはおそらく何度も軍隊で聞かされた言葉なのであろう。政治的な力を実質上もっていなかったかどうか、真偽のほどはわからないが、なんいせよ形だけにせよ最高責任者だった人間が、なんにも裁かれず、裁判にもかけられず、戦後なぜだがわからないが平和の象徴のように崇められた、この現実。これは考えれば考えるほど不可解だ。

日本に住んでいて本当に不可解なことが多い。日本社会のひずみはあの時点から始まっているのではないだろうか。「美しい日本を取り戻す」のは結構なことだ。しかしその美しい日本とはなんなのか、取り戻すためにまずしなければならないことはなんなのか、ぜひ考えて言葉にし、行動して欲しい。
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