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村のロメオとユリア [文学 ドイツ]


村のロメオとユリア (岩波文庫 赤 425-5)

村のロメオとユリア (岩波文庫 赤 425-5)

  • 作者: ケラー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1972/05/01
  • メディア: 文庫



今年は本当にオペラの原作をよく読んでいる。
この本もその中の一冊。
イギリスの作曲家ディーリアスがこの本を元にオペラを書いている。
最近イギリスの作曲家に若干はまっていて、ディーリアスの曲を色々眺めていたら興味がわいてきて、2014年夏に岩波から復刊されて、まさに品切れになろうとしているところを、ジュンク堂で見つけ購入した。
120ページ強の作品であっという間に読み終わった。

ある3つに分かれている農地があり、ひとつはマンツ、もう一つはマルチが耕作している。お互い仲良くうまくやっていた。彼らの中間にある農地は誰のものか定かではなく、はじめは放って置かれたが、段々とふたりが使っていき、遂にお互いの利害が対立し、裁判沙汰になる。それがきっかけで、二人は周りの人間にも騙されたりしてどんどん貧乏になっていく。

マンツには息子サリー、マルチには娘ヴレーンヘンがおり、二人は小さい頃から仲良くしていた。しかしこの裁判沙汰以来お互いあまり接触しなくなってしまう。しかしある事件をきっかけに二人は一気に距離が縮まるが、結局さまざまなことがありこの世で結ばれることは不可能と考えた二人は永遠に愛し合える場所へとふたりで旅立つ。

この話、舞台を街から村へ、身分を貴族から農民へとただ変えただけではない。人間の中にひそむ金への欲望。結局現世的な欲望が、純真な心を潰してしまうが、結局純真な者の心は、不純な者たちには理解できない、というメッセージが込められている。物語は、この二人の自殺を伝える新聞記事で終わるのだがそれがとても重い。

「これまた近来青年男女の情熱的放縦と道徳的頽廃のますます蔓延する一兆候であろう。」
結局、自分たちが道徳的に頽廃していると、それが頽廃とは分からず、自分たちよりも純粋なものを頽廃的なものとみなし批判する。

いつになっても時代は変わらない。基本的には確かに『ロミオとジュリエット』なのだろうが、そして確かにシェイクスピアの傑作にはとても及ばないが、メッセージ性の強さという点ではこちらの方が上かもしれない。

非常に様々なことを考えさせられる作品だった。
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