SSブログ

人間不平等起源論 [哲学 ルソー]


人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/08/07
  • メディア: 文庫



ルソーの主著、『人間不平等起源論』を読み終わった。何故、この本がフランス革命の理論的バックボーンとなり、今も古典として読み継がれているのかがわかった。そして彼の言う「自然に帰れ」という主張もこの著作を読んでよくわかった。

非常に簡単にこの作品の主張を要約すれば、人間は「野蛮な原始状態」から「理性的な文明状態」に進化したと一般的には言われるが、原子状態こそが人間が最も公平で穏やかであった状態で、様々なことを知り、理性的な状態になり、社会を形成し、法を確立したことで、不公平(不平等)で、野蛮な状態になったという主張だ。

私はルソーの主張にかなり同意するところがある。前にも何度か書いているとは思うが、キリスト教もマルクス主義なども、キリストやマルクスが行っていること自体は素晴らしいのだが、それをのちのちに解釈し、皆でそれを実践しようとし、団体になるとそこにズレが生じてくる。ルソーも認めているとおり、これは、理論的に起源に遡ったものであり、この起源の状態に戻ることは出来ない。しかし、その理想に少しでも近づくために、人間は少しずつ不断の努力を続けるべきなのではないだろうか。

以下、印象に残った箇所を引用したい。

p43

「無私で穏やかなまなざしで、人間の社会について考察してみれば、人間の社会では強い人間が暴力を行使し、弱い人間を抑圧していることがすぐに目に付く。そして人間の心は、強者の冷酷さには反感を感じ、弱者の無理解に嘆きたくなるものだ。しかし弱さと強さ、富と貧困などの違いは、英知から生まれたものではなく、偶然の産物に過ぎないことが多いものであり、人間の社会におけるこうした外面的な関係ほど不安定なものはない。」

人間の社会的な違いは本当の力などではなく、すべて偶然性から生まれたものであるはずなのに、みなそれを絶対ししてしまう。人間は本来平等であり、平等に扱われるべきものであるはずなのに。

p75
「人間だけが耄碌するのはなぜだろう。それは老齢とともに最初の状態に戻るから、老衰やその他の事故のために、自己改善能力によって獲得した全てのものを失ってしまうからではないだろうか。~中略~人間は耄碌したのちは、動物よりも劣った存在になってしまうのである。この得意な、そして無制限な能力が、人間のすべての不幸の源泉であること、この能力がときの経過とともに、平和で無辜なままに過ごしていた原初の状態から人間を引きずり出すものであることを認めざるを得ないのは、なんとも悲しいことではないか。この能力こそが人間のうちに知識と光と誤謬とを、悪徳と美徳とを数世紀の時の流れのうちに孵化させて、ついには人間を自己と自然を支配する暴君にまでしてしまったのである。」


p.116
「精神的な能力についても同じことが言えるのであり、教養のある精神と教養のない精神の違いを作るのは教育である。~中略~文明状態において暮らす様々な階層の人々では、教育と生活様式には驚く程の違いがある。これとはまったく対照的に、野生人の動物的な生活は素朴で、どこでも同じである。~中略~これを考えれば、文明状態と比べると自然状態では人間のあいだの違いがどれほどちいさなものであったか、制度的な不平等によって、どれほど人類の自然の不平等が拡大せざるをえなかったかが、わかろうというものである。」

まさに、文明こそが人間を不平等にしたのである。


p.160
「ところで人間と人間の関係において考えられる最悪の関係は、片方の者が他方の者の意のままになるということである。」

p.168
「そもそも自由とは、子供たちが人間としての資格によって自然から授から贈りものであり、両親は子供たちからこの贈り物をとりあげる権利などもっていなかったのである。」

p.178
「そもそも他人に命令することなどまったく望まないものを服従させることは至難の業であり、どんなに巧みな政治家でも、ただ自由であることだけを願う人間を屈服させることはできないもなのだ。しかし野心に駆られる卑屈な人々のあいだでは、不平等は用意に広がる。」

p.188
「野生人はみずからのうちで生きている。社会で生きる人間は、つねにみずからの外で生きており、他人の評価によってしか生きることがない」


とても良い本だった。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。