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サヨナラ、学校化社会 [その他 本]


サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫)

サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫)

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/10/08
  • メディア: 文庫



今、上野千鶴子の『家父長制と資本制 マルクス主義とフェミニズムの地平』を読んでいる。岩波現代文庫から出ている作品をなるべく出版された順に読んでいるのだが、結構難しい。ある人の本を読むと、その人のほかの著作も読みたくなる。そこで軽い感じでさらにある程度面白そうなこの『サヨナラ、学校化社会』という本を読んでみた。

東大で教えるようになって、東大生の普通さに驚いたこと、学校化社会、つまり「未来志向」「ガンバリズム」「偏差値一元主義」といったもの批判、自分が今までの大学でどういうことを教えてきたか、(フィールドワーク・KJ法)、自分の今までの人生、これからの学び方、などが書かれており、結構興味深く読んだ。

彼女の程の知能とバイタリティがあるからこそできることなのだなあ、とは思うのだが、あまり上から目線は感じられず良かった。

p.34
「言語的なメッセージの読解力が低い人たちは、言っている相手が本気かどうか、そういう言語外のメッセージを読み取ります。そういう人たちに認めてもらうということはなかなか大変なことで、私はそのころ、「犬と子どもと学生サンは騙せまへん」と言ったものです。反対に東大生は権威ー活字で書かれたこととか教壇で語られること、ブランドのある人が言ったこと、そういうものに深くとらわれているということが見えてきます。」

普段東大に合格していく生徒たちを教えていて、東大に受かる子が、権威に深くとらわれているとは思わないが、子どもたちが言語外のメッセージを読み取り、こちらの本気度をよく見ているというのは共感する。だから権威ある人の軽い言葉は彼らの心に響かないのだ。

p.147
「私はいま、「小さな政府」「小さな学校」ということを唱えています。大きな政府など、もういらない。大きな政府を望むのは、政府に信頼をもつ国民だけです。日本政府にだれも信頼などもたないから、こんな政府に巨額な税金を預けるつもりはまったくない。~中略~
 おなじく大きな学校もいりません。小さな学校でたくさんです。知育・徳育・体育などといわず、学校は分相応に知育だけをやればよい。学校的価値を分相応に学校空間に閉じ込めて、その価値は多様な価値の一つにすぎないという異なるメッセージを、制度的に保証していくしくみをつくるべきだと思います。
 それは多元的な価値を作り出すことです。学校ではない空間ー「共」の空間を生み出すことにつながります。「共」もしくは「協」の空間とは、パブリックでもなくプライベートでもなく、コモンな空間のことをいいます。子どもたちには、家庭でも学校でもない、コモンの場が必要です。」

完全に同意はしないが、子供に対して、多元的な価値を示すことは重要だと思う。


p.165
「「この分析能力の差は、なんでつくか知っているかい?教養の差や。新聞を読みなさい。本を読みなさい。テレビのニュースを見たらいいよ」と。そこではじめて彼らのなかに、知識や教養にたいする動機づけが生まれます。」

大学時代、なんで教授はこんなに深く物事が考えられたり、分析できたりするんだろうと思っていたが、それはやっぱり教養の差だったのだと思う。

p.193
「三十歳をすぎて生まれてはじめて外国に出たわけですが、言葉ではものすごく苦労しました。語学というものは、そこにいて空気を吸っているだけで、一年とか二年とかしたらぺらぺらしゃべれるようになるものだと思ったら大まちがいです。」

p.195
「言葉はそこで生き抜く必要なる人が、必死で身につけるものです。必要のない人には、ことばを身につける理由も必然性もありません。」

これが日本人が英語ができない理由の全てだと思う。くだらない英語教育改革をやめてもらいたい。

色々と学べる本だった。
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